そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

火曜日がいちばん辛い

 

ようやく月曜日を倒したら次は火曜日がやってくる。個人差はあるだろうけれど火曜日がいちばん体力精神力的にきつい。

月曜日は精神的にいちばんきつい。休日明けで「また5日間の労働の日々だ」と思う。つらい。なにがつらいかって次の休日までいちばん遠い。手の届かないところに土日がある。振り返ったほうが近いそれにはもう触れることさえ出来ない。でも体力はまだ残っている。

水曜日になれば折り返しだと思える。ようやくここまできたな、と思う。しかし人によってはこの水曜日に「まだ半分」と思うだろう。しかし考えてみてほしい。水曜が過ぎれば木曜になる。木曜になればこっちのもんだな、と思う。

上記のごとき木曜は「明日は金曜」と思うことで乗り切れる。そうやって心を誤魔化しながら生きている。金曜はなおさらだ。ちなみに私は金曜の夜にいちばん自由を感じる。

こうしておもうのはやはり火曜日がいちばんきつい。だって振り返れば月曜で、まだこの身体を通った土曜と日曜のぬくもりが忘れられずにいる。でも昨日相手をしたのは月曜という、なんの興味もない男。感情もなく劣情もない、ただ金のほしさに抱かれた男。この先になにがまっているというの。これ以上私になにを望むと言うの。そう思って蒼穹を仰げば天空を鳶が飛んでいる。なにも変わらない毎日。ふっ…感傷的ね。私って。次の日も水曜という月曜となんら変わらない肉体だけの男が身体を震わせている。その先も木曜。そして金曜。まだまだ土日に会えるのは先のことなのね。そう思いながら火曜が私の体のうえを通り過ぎていく。心にアパシーという残滓を抱えて私は、とりとめもない火曜に赤裸を開いている。おれはなにをかいているんだろうか。

 

あまりにも当たり前すぎて知るまでもない

 

土曜日。息子とふたりきり。曇りの予報。けれども晴天。これはまいった。プールを出せばよかった。せっかく購入したビニールプールも、物置に眠っている。太陽のうそつき。雨ばかりの冷夏で、まったくつまらない夏だった。あたりまえのように過ぎ行く季節の意味を知った。それでも自転車に空気を容れた。水鉄砲を放った。人間には空気が必要だと思った。

午睡爆睡きがつけば夕刻。妻の帰宅。食事はピザにした。土地の者に利用されているファミリーレストラン然としている食事処である。自家製のパスタがうまい。あとピザは配給制度の食べ放題なのだが、食べ放題のピザってしょぼいじゃん。具とか皆無じゃん。チーズなんてほぼなくてピザソースでぎりぎりピザの体裁を整えているような。そんな小麦粉練ったようなものじゃん。あかんよね。

でもここは具もしっかりしているし、チーズも舌を巻くほどに盛大だ。3,4枚食うだけで満腹中枢が刺激されてしまう。なんといっても石釜で焼いているという手間を賞賛したい。あとドリンクバーもくそうまい。とくにジュース類がしぼりたてなのでクソうまい。やばい。あ、やばい。夜半は息子と相撲をとった。楽しかった。

日曜。朝から出立。日高屋発祥の地。サイボクハムという畜産加工業者。生きている豚と死んでいる豚を見た。死んでいるほうを食った。うまかった。詳しく書きたいが写真も少ない。みんなどうやって写真とってんねん。

またもや午睡爆睡きがつけば夕刻。食事の支度。たくさんソーセージを購入したのでうれしい。その他豚の筋肉や臓腑を為替と交換した。臓腑はトマト煮にした。うまかった。酒のあてにしようと画策したが、断念した。なぜなら頃日、細君とウォーキングデッドという死人が生者を強襲する映像作品を見ているからである。気色の好いものではない。ちなみに息子はよくサマーウォーズを見ている。たぶん理解はしていない。

そして月曜。

 

松屋でキムカル丼。腹太鼓でブラストビート

 

松屋に行ってキムカル丼を食った。牛の肉体を削ぎ落とし地獄の火焔で焼却したもの。唐辛子のエキスで清めた白菜やにんじん。それらが恍惚の表情を浮かべ、白米の上で俺に食われるのを待っていた。しかし、さびしい食い物だった。

理由がある。まず提供時間が遅かった。松屋の注文は切符制である。そこには切符の発券時間が記載されている。丼が眼前に終着したのは発券時間の13分後であった。松屋のような疾駆感が重要な飲食店で、どうしてこのような禍事が起こったのか。

団体客がいた。こともあろうに、松屋のような孤独と懊悩が入り混じる閉ざされた世界で、いい歳こいた大人の集団が、ことも楽しげに食事をなしていたのである。椿事だ。

カウンター席の一角を陣取っていた。そしてみなそれぞれ焼き物を注文していた。松屋で焼き物の注文は時間がかかる。摩擦熱をもってして、火をおこすのに時間がかかるからだ。それをば、6人あまりの人間で、そろいもそろって焼き物を注文するので、オーダーが滞っていた。

彼らの注文がすべて揃ったのち、私のキムカル丼が来た。しかし、この世の春を迎えている、と言わんばかりの彼らはとても楽しそうに談笑していた。わたしは一人だった。

つらい人生だ。と思った。私の孤独と懊悩は、松屋の、やけに明るい店内に乱反射していた。キムカル丼を食って、味噌汁を啜り、水道水を一気に仰いだ。食道を駆け抜ける冷ややかな感触が心地よかった。

そうして私は店を出た。黙って店をでた。まだ彼らは楽しそうに食事を、ってゆうか談笑をしていた。私は張った腹をさすってみた。すこし叩くとぽんっと気味の良い音がした。全身全霊をこめてその腹太鼓でブラストビートを叩いてみた。キムカル丼の消化がすこし早まった気がした。

 

嘘とは

 

真っ赤なうそ。というのは赤に対する風評被害だと思う。赤かわいそう。時代によっちゃ狩られるし。なんて関係ないけれど。そんな真っ赤なうそがある。

たとえば。宇宙というのは巨大な便器の中にある。というものである。渦巻く銀河は水洗便所の潮流だという。そんなことを嘯いている人がいる。

そんな詐欺師が無垢で誠実な人に、上記のごときを言う。無垢な人はそれを信じてしまう。この宇宙は便器のなかにある。便器を見るたびに宇宙を思う。夜空の星をみるたびに、この世界の真実は便器の中にある、と思う。そんな彼が、また人にそれを言う。これは真っ赤なうそになるのだろうか。

彼は宇宙を見たことが無い。だけれども、そう聞いた。「宇宙は巨大な便器の中にある」これは彼にとってひとつの真実なのだから、彼がそれを人に話しても、それは真っ赤なうそにならないのではないだろうか。

世の中の宗教とか科学とか真理っていうのは、そういうものではないかな、と思った。頬杖をついて。太宰治みたいな瞳で。虚無の光を携えて。ってなにをカッコいいこといっとんねん。ぼけなす。仕事しろ。

 

定期的に到来する「シャチ」に対する絶対的なあこがれ

 

まぁシャチがヤバイ。なにがやばいってこんなに男子を魅了する。って俺は男子なのか。と疑問符をつけたくなるが、きっと心はずっと男子。身体は31のおっさん。さいきん鼻毛が白い。で、まぁきほん男子はシャチが好き。ロボとか恐竜とかウルトラマンのカテゴリーに入っている。まぁヤバイ。

 

ヤバさの指標はいくらでもある。あいつら無限にかっこいい。なんてったて強い。この地球上の7割を占める大海原で最強。ということは地球で最強ということになる。

 

最強。この響きが男子の劣情を煽る。使い方がなんとなく違うけど。最強ってのがシャチの全てを首肯させる。男子にとって「最強」とか「無双」みたいなのは「巨乳」と一緒。最も強いが最強。双と無いが無双。巨いなる乳が巨乳。一緒。最強だからその艶々な表皮だったり、フォルムだったり、白い文様とかかっけーってなる。巨乳だったらそれだけでもう女性としての意味を持ってしまう。同衾したくなる。劣情を煽る。この使い方が正しい。

 

またこの強さが単純に膂力ってのもいい。毒とかそういう姑息な手段ではなく、その骨格とか筋力とか櫛比する牙とかで奪命する。かっこいい。ちなみに鮫とか雑魚。シャチの哺乳類としてのあの骨格はヤバイ。恐竜だよな、あれ。

 

シャチは姑息じゃない、とか書いたけど、じっさいシャチはすげぇ頭のいい奴。獲物を罠にかけて牙を振るう。弱いものしかいないこの海で。数頭つれだってチームで囲う。なんで頭のいい奴って、こう卑劣な手段を講じたりすんのかね。それが100パーセント任務を遂行する力なのかね。

 

逆に幽白の桑原みたいな馬鹿正直な奴は「卑怯な手段をつかう奴に正々堂々と勝つから男はかっこいいんだ」とか言う。いやかっこよすぎ。桑原まじで好き。ほんとシャチより好き。男ってそういうもん。

 

日曜の労働

 

過日。日曜。午前。現場で立会い作業があった。とくにすることもなく午過ぎに終わった。僥倖を感じた。

帰路。電車。その空間にはまばらに人が散在していた。着座してブログを書いた。いまだに公開できずにいるのは、思惟した正義と、社会に随従すべき正義との齟齬が理由である。正しいことを正しいと主張するのが間違っている場合がある。それが社会だと思う。

空がくすんだ白だった。日照不足で稲が成り立たぬらしい。騒動が起こる。

買い物は近くのスーパーマーケットに行った。一度帰宅して妻と子を車に載せた。拙宅は作り置きをするので大量にアイテムを購入する。あまりに仰山な物品により、おそらくレジの従者から「業者」とあだ名されているのではないか、と猜疑している。

豚肉角煮、しょうが焼き、マーボーナス、ゴーヤチャンプルー、ピーマンツナ炒め、エリンギとズッキーニのオイル炒めを作った。疲れた。

16時からアルコールを摂取しながら調理に励んだ。窓明け、換気扇の釦を押し込むと、涼しげな風が入ってきた。まだ明るいうちだった。

麦酒は2杯。そのあとは焼酎を煽った。その夕餉は角煮を食った。このうえない美味だった。子が貪り食っていたのでうれしかった。

一日の庶務をこなして気絶した。そして今日になっていた。気がついたらきっと明日になっている。そうやって日々を受け流すうちに誕生日を忘却していた。永遠の一日がほしい。

 

バリュープラザで一日を過ごした

 

空気が落ちていった。しかし気圧の高低は無かった。ゴム製の球体に封印された空気だった。その比重分、この星の重力に唯々諾々として従っていた。

この命脈の果て。その同胞が仕切られた空間のなかで生きていた。ちいさな筋肉を収縮させて、ちいさな肺胞にたくさんの酸素を詰め込んでいた。ちいさな身体に無限の可能性があるな、と思った。

音響装置が鳴っていた。ちいさな主張では払拭されてしまう海嘯のごとき音波だった。すこし気をもんだ。しかし隣接する騒々しさの魔界との兼ね合いだ。仕方ないと得心せざるを得なかった。

昼めし。小麦、獣肉、発酵した乳、葉、それらを一塊にしたものを食べた。芋を高熱の油にくぐらせたものもたべた。獣肉は豚や牛を混交したものだと思う。とんでもなく美食だった。

午睡というものをしなかった。持久力がついた息子は遊戯に惑溺していた。時折丁々発止、闘争をした。切歯扼腕。悽愴流涕。

木製の汽車。その線路。と言ってもちいさな玩具。掛け合わせた。部品が不足。頭を使えと大人は言う。でもそれでもどうしようもないときがある。人生。膂力にまかせることも大事だ。

砂。形状を維持しようとする。粘土のような砂だった。重くねばついた。キルティックサンド。料理が好きだという。

水、茶、珈琲は無料。茶や珈琲は粉を薄めたような濁り水。しかしそれでも。

無限のきたい。遊戯に飽和。悪魔のようにとりつく欲望。帰巣本能。負けない。親の都合。楽をしていきたい。それは子育ても。でも享楽と惰弱が合致した空間があった。

まるで宇宙だった。上も下も北も南もない宇宙がここまで届いていた。かろうじて見えたのは反射する街道だった。雨は沛然。光で光が見えない世界。図書館で本を返した。沈黙の車内。雨音が落ちていった。