そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

松屋でキムカル丼。腹太鼓でブラストビート

 

松屋に行ってキムカル丼を食った。牛の肉体を削ぎ落とし地獄の火焔で焼却したもの。唐辛子のエキスで清めた白菜やにんじん。それらが恍惚の表情を浮かべ、白米の上で俺に食われるのを待っていた。しかし、さびしい食い物だった。

理由がある。まず提供時間が遅かった。松屋の注文は切符制である。そこには切符の発券時間が記載されている。丼が眼前に終着したのは発券時間の13分後であった。松屋のような疾駆感が重要な飲食店で、どうしてこのような禍事が起こったのか。

団体客がいた。こともあろうに、松屋のような孤独と懊悩が入り混じる閉ざされた世界で、いい歳こいた大人の集団が、ことも楽しげに食事をなしていたのである。椿事だ。

カウンター席の一角を陣取っていた。そしてみなそれぞれ焼き物を注文していた。松屋で焼き物の注文は時間がかかる。摩擦熱をもってして、火をおこすのに時間がかかるからだ。それをば、6人あまりの人間で、そろいもそろって焼き物を注文するので、オーダーが滞っていた。

彼らの注文がすべて揃ったのち、私のキムカル丼が来た。しかし、この世の春を迎えている、と言わんばかりの彼らはとても楽しそうに談笑していた。わたしは一人だった。

つらい人生だ。と思った。私の孤独と懊悩は、松屋の、やけに明るい店内に乱反射していた。キムカル丼を食って、味噌汁を啜り、水道水を一気に仰いだ。食道を駆け抜ける冷ややかな感触が心地よかった。

そうして私は店を出た。黙って店をでた。まだ彼らは楽しそうに食事を、ってゆうか談笑をしていた。私は張った腹をさすってみた。すこし叩くとぽんっと気味の良い音がした。全身全霊をこめてその腹太鼓でブラストビートを叩いてみた。キムカル丼の消化がすこし早まった気がした。