そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

海の見える墓

 祖父の四十九日のため、静岡へ自動車を操縦していった。この土日のことである。片道三時間。自動車のハンドルを握るのはちょっと好き。生まれ変わったらあいのりの運転手になりたいとおもっている。

 

 祖父宅に集合し、そこから葬祭結社へとむかった。加藤茶のパネルがある。加藤茶の笑顔の裏に彼の妻の翳りが見えてしまう。がんばって生きろ、茶。そこからバスであいのりし、寺へと向かう作戦が用意されていた。

 

 静岡の道はきれいである。とても整備させている。往来の幅も広く、なんだかゆったりとしている風情がある。あるコミュニケーションの最中「静岡産まれの厳選茶葉」たるおれの出生の秘密を明らかにすると、よく「静岡あったかくていいとこだよねー」、などとおっしゃる非静岡人がいるが、どの口で言ってんだとおもう。お前はなにを知ってんだ。

 

 寺は小高い丘の上にあった。曹洞宗であることは、ちょうど四十九日前の祖父の葬儀で知った。とても立派な寺であった。無税ってすごいとおもった。ちょっと脱税しようかな、と悪い心が起こった。幾星霜の時流のなか、多くの人の視点に撫でられた建築には、艶やかな余裕ある悠然たる風格があった。廊下が広く、軽自動車くらいなら通れるんじゃないかとおもった。庭も手入れが行き届いていて美しい。

 

 お経をあげ墓に向かう。この丘をさらに登攀する。老年がおおいため、ここでもマイクロバスをつかう。吾が息子たちが平均年齢を大きく下げるとおもったが、焼石に水とはこのことで、無駄なあがきに終わった。

 

 細い道をのぼっていく。ここ両側車線なのかよ! とおもった。あきらかに車一台でギリギリなのである。政府はなにをしているんだとおもった。すぐさま醵金し道路整備をすべきだとおもった。寺からも税を徴収すべきだともおもった。あまりにも細い路地を曲がっていく。あいのりのドライバーはあきらめようとおもった。

 

 墓のロケーションはとてもいい場所であった。住宅が櫛比する眺望の向こう側に駿河湾が臨める。中天の太陽をはじき返す鉛色の遠海はきらきらとかわいらしく踊っていた。線香をあげたその墓のデザインも乙なものであった。嫡孫(おれじゃない)が一筆した彫心鏤骨の「楽」という文字である。はっきり言って洒落てる。

 

 あまり陰気な葬式の一連ではなかった気がした。祖父の人柄にもよるのかもしれない。とてもいいかげんで酒飲みで、でも鷹揚で海容な祖父だったとおもう。あつまった人も多かった。こんなに親戚がいたのかと驚いてしまったくらいである。

 

 いろんな死にかたがある。事故や病気はほんとうに悲しい。でもこんなふうに弔ってくれる人たちがいたり、景勝たる立地に墓を建築してもらえるのは幸せなことなんじゃないかな、なんて抹香くさい礼服を脱ぎ脱ぎおもった。

 

 遺伝子的な母が、ようたもじゅんすけもがんばったので「おもちゃ屋に行ってやる」と言い出した。おれもがんばったんだけどな。玩具屋でベイブレードを買ってもらった。ようたはずっとベイブレードを欲しがっていたし、正直に言えばおれも欲しかった。三十二歳、母にベイブレードを買ってもらう。元気にたくさん遊んだ。