不安な朝
正しく生きたいとおもう。間違ったことをするよりは、正しいことをしたほうが好いのである。いわば道徳観。やっぱこれだね。たとい間違を犯したとも、できることならやりなおしたい。つまり、軌道修正をしたいと願う。たれか正しき方角へといざなってほしいのである。
率土之濱を眺むれば、正しさを追求していおられる御仁がおわす。悪どいものへ天誅を加えるのである。謀(はかりごと:不思議なセミナーなど)をして人を陥穽へ落としむるな! と大きな声をして咎人を排撃せしむるのである。
結果、罠に陥る寸でのところで救助される人々もいるのだろう。あー、よかったよかった。って、まぁそんな人おれは見たことねぇけど。落ちるやつは正義の使者の声なんて聞いてなくね?
しかし問題は、排撃せられたその咎人も傷つく、ということである。おれの学んだ道徳観では人を傷つけてはいけない、となっているのである。咎人であれば殺してもよい、というのが今の日本国憲法であるが、民事で殺人となれば、それ自体がより強大な罪となってしまう。いったいどうすればいいんだ!
正しさとはなんなのか。おれにはわからない。なにより、正義を執行する側が、「人を助ける」という目的というよりも、悪人を制するというスローガンを旗に、「人を傷つける」ことを楽しんでいるように感じてしまうのである。こわっ。もし仮になにか間違いを犯したとき、おれはこれらの正義の執行人からすごい攻撃を加えられてしまうのではないか。不安である。
だから正しく生きていたい。これは道徳観というよりは恐怖政治の外圧がかかっているのではなかろうか。はっきりいって怯えている。あぁ今日も正しく生きねばならぬ、そんな慄然たるおもいで朝目覚める。
正しさを基準に行動をしよう。がんばってさ。と、眉宇に決意を漲らせ、日本国民としての正しさを遂行しようと労働の旅支度をするときに、はたっ、と止まってしまうのである。すなわち、朝の仕度の正しさがわからぬのである。
ここで、私の朝のタイムスケジュールをみてみよう。
①起床
②洗面
③食事
④着替え
⑤歯磨き
⑥茶
⑦家出
と、まぁ、こんな具合である。
①→②の行動は正しいとおもう。しかし問題は③→④の順序である。望月家では食事はパジャマを着用したままするのであるが、人によっては着替えてから食事というパターン、すなわち上記番号を用いれば④→③の順番というのもありうるのではあるまいか。
というのも、パジャマというのは毎日洗わない。えっ、洗わないよね? わかんないんだけど。まぁ洗わないとしよう。二、三日くらい着るよね。それを前提条件にしようか。ね。で、パジャマは毎日洗わない。そんなパジャマで食事をするということは、パジャマに、ジャムや醤油や卵黄や納豆が飛散する可能性があり、そのあらゆる食品が付着したパジャマを寝室に持ち込むというのは、衛生的にどうなの? ってなものなのである。
すなわち、朝餉は着替えたあとにする、というのが正しさのように思われる。だがしかしおれは反駁したいのである。おれの反駁の主眼を先に述べておけば、それはいわゆる「フレッシュさ」なのである。
やはり一日のスタートはフレッシュな気持ちでいたい。それに必要なのは、畢竟、「ブランニューなシャツ」だとおもうのである。
論点が見えてきたとおもう。え、見えてこない? おかしいな。だからつまりさ、着替えてから飯を食うと、上記のごとく、ジャムや醤油や卵黄や納豆がせっかくのブランニューなシャツに付着する恐れがあり、もし付着してしまえばひとたまりもなく、その日一日の「フレッシュさ」というのが削がれてしまうのである。
由々しき事態である。失われたフレッシュさは、周囲の人びとへの影響も大きく、シャツにケチャップなどをつけて会社へ参れば、「今日一日もがんばろう!」と意気込むフレッシャーズへ悪い波動を与えてしまい、フレッシュなエネルギーを消滅させる結果となって、日本のGDPを減退させてしまうのである。国家の危機である。
しかし、本当の正しさはどうなんだ。拙宅の衛生管理を重視したほうがいいんじゃないか。いやでもそんなことしたら日本の国内総生産が…。
しかし、こうして望月家の朝の流れをネットに曝してしまった以上、もしこれが間違いだった場合、「おまえは間違っている!」とのご意見ご感想をちょうだいするかたちとなり、結果軌道修正とはなるものの、これまでの人生を否定されることになって、おれはすごい傷つく。でもきっと正義の執行人はおれを傷つけたことなど歯牙にもかけず、恬然と「正義って超きもちいい」などと楽しく毎日を過ごすのである。インターネットってこわい。