そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

こんなクソ人間からでも芸術は生まれる

 

 人間のくずとして生まれて幾星霜。軽蔑され、嘲弄され、野良犬のような生活をつづけてきた。でもかなしくなんかないもん。だって、ときおり芸術的なものを生み出せることに気がついたから。今朝もそうだった。完璧なうんこが出たのである。

  「完璧」というとパーフェクトという意味なのだが、もうそれは美しいほどの理想てきなうんこだった。うんこの美しさはやはりその色彩、大きさもさることながら、形状が肝要だとおもわれる。

 それはまっすぐな意思だった。愚直ともいえる。自分が生み出したものをこんなに称揚することは手前味噌なのだが、先頭から終わりまで徹頭徹尾として思い描く理想的なうんこだった。それは象徴としての抽象的な巻きクソのようなものではなく、誰もがいちどは経験したことがあるであろう実証的な、そして原風景的なうんこだった。

 こんなクソみたいな人生をおくってきた境涯からして、かくなる僥倖に出会えるなんて人生すてたもんじゃないなぁなんて思ったのだが、ひとつ心に残る点をみつけた。 

 うんこというものは排泄物であってきほんてきに汚物だ。クソみたいな人間が汚物を垂れ流したら、それはつまりマイナス×マイナス、という公式が成立し、そのマイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスという「正」の属性をもったものが誕生することであって、そうか、こんな美しいうんこをひりだせる俺はやっぱりクソ人間なんだなぁ、とかなしくなった。

 そんな三十一歳の秋。天高くすみわたった空はどこか物憂げだった。

今週のお題「芸術の秋」

 

まるで天秤のようだ

 あっちのブログを間違えて公開してしまい、購読ブログにあがってしまったので急遽こちらで書いたブログを本ブログにアップしたのだが、こちらで一度あげてしまった内容なので、こんだぁこっちが上がってしまって、じゃぁこっちにもなにか書かんとナァとおもっているのだけれども、とくに書くことが無いから私の半生でも綴ろっかな。

 私は外交官の父と、モデルの母の間に生まれた。一九八六年、八月のロサンゼルスの産院だった。難産でたいへんだった、と母は語っている。

 そうしてロスで幼少期を過ごしたのだけれども、幼いころからIQが以上に高く、二歳の頃には論語を読んでいたという。そうして七歳の誕生日をむかえたときに大学の入試に合格して飛び級した。専門は異次元間における空間の立体的推移と宇宙塵チェレンコフ光線について。

 大学に入れば忙しくなるぞ、ということで、その夏。自家用の超音速機コンコルドにのって世界を巡っていたんだ。

 それはあまりにもいろんなところに行ったものさ。いちばんたのしかったのはマダガスカルだな。極秘にクローンで蘇らせたエピオルニスとかを見させてもらった。父は「いくらで買えるのか」といって政府の役人を困らせてたっけ。

 そうして運命の日がきた。わすれもしない。私たちがプエルトリコ上空を通ったとき、烈しい光につつまれた。世に言うバルミューダトライアングルだった。

 そうして気がつくと私は日本の静岡、安倍川の河川敷にいた。呆然とダンボールの中、「世捨て人です」の看板を持ち、立ちすくしていたところ、いまの母と呼べるべき望月氏にひろわれたのだった。

 生活しているうちに気がついたのは、過去の記憶がまったくないこと。そしてIQが一般人レベルまで低下していたこと。そうしてなにより特別だったのは左の目がなくなっていて、その代わりにその目玉から気色の悪い人体が生え、甲高い声でしゃべり続けてくることだった。

 どうやらその目玉の生命体には、バルミューダトライアングルで散り散りになった父の思念が封じられているようだった。だからわたしはこれを「とうさん」と呼んでいるのだけれど、もう日本の魑魅魍魎がおそってきて毎日が墓場で運動会。たのしいな。たのしいな。なんつって、生き別れた母を探している。

どうぶつえんにいった。

 過日。動物の観察がしたい、と息子がもうすのでアフリカにいこうとおもったがカネがないので断念した。代替案として上野動物園にいった。

 ちなみに息子の数少ない語彙のなかでは「上のどうぶつえん」であり、「下のどうぶつえん」も存在するらしい。きっと「横のどうぶつえん」も「ななめのどうぶつえん」あるんだね。

 檻のなかには空輸、海運によりうんぱんされてきた世界各国の珍獣が悠然とくらしていた。アフリカ産のきりんを発見したときの息子の幸甚の至りをおれは一生わすれないだろう。パンダは笹を食っていた。しかし所詮はメイドインチャイナだろ、とおもった。あとやっぱ爬虫類、両生類はだめだ、おれは。

 ホッキョクグマ。アザラシ。北極圏の動物に沈湎していた。たのしそうだった。飯を十一時前にすませたら迷い戸惑う後発組みに「今日」という一日において勝ったきがした。めしをはやく食うのは手軽に勝ち組になれる。

 さて帰ろうか、という段になってひとつの事件がおこった。おれの首筋に烈しく鋭い痛みが奔った。ひかくてき痛みにつよいこのおれが「いてぇ!」と咄嗟に叫んでしまうほどの痛みだった。

 なにがおきたのか。ぽとり、と足元にひとつの影がおちた。ミツバチだった。あろうことかこのミツバチは俺を毒殺しようとおもったらしい。刺されたポイントは水ぶくれのように膨張した。ちかくに総合案内所と救護室があったので駆け込んだ。

 せっかくのたのしい一日が一匹のミツバチにより憤怒の一日に彩られた。むかついたので家に帰宅してから壁に擬態させてある秘密のスイッチを押した。床の間の壁面がくるりと一回転し、地下へとつづく道になった。

 そこには洋の東西を問わぬ、さまざまな武具の類が整然とならんでいた。そのなかでも、俺はアメリカ軍製のメタリックな赤とゴールド色に装飾されたパワードスーツを選び、身に纏い、空を駆け、音速でハチのアジトへと向かった。

 ハチたちは今日の武勇伝をかたりあっていたのだろう。「おれはふたりやった」とか「おれはこれで百人目だぜ」というふうなことを読唇術でよみとった。やつらは祝杯をあげ、すこし酔っていたふうだった。

 そこへアイアンマンみたいなおれが推参した。やつらは呆然としていたが、一匹のハチを上段から斬り捨てると、その血煙に己を取り戻したようだった。しかし、もうそれは遅い行動だった。

 おれは一匹のハチを残して惨殺した。その一匹とは俺の毒殺をたばかったあのハチだった。なかまや家族の体液でぬらぬらと濡れた顔面は凄愴な顔つきをしていた。ハチはおびえていた。ヤツの腕の中にはヤツの息子と思わしき一匹のちいさなハチが死骸となっていた。

 同情はしなかった。俺はヤツの六本の節足を打ち抜き、生きたままの苦しみを与えた。触覚をむしり、顎をちぎり、目をつぶした。そうして中国の漢方屋までもっていき、なんかそういうハチの酢漬けみたいなのにさせた。なんだこの話。

ほうじ茶ラテとかいう秋最強のドリンク

 

 あるいは、と文頭へ唐突に接続詞をもってくると、なんだかかっこよいですよね。ってゆうか、日本皇国にうまれおちた僕た私たちはやはり四季を感じていたいナァなんて思う。

  そうしたわけで季節を感じる。秋。やはり秋というのは感傷的なきぶんに陥りやすい。思い出というのはとくににおいから喚起されることがおおく、金木犀の甘く突き抜ける香気はやはり俺の思い出を呼び起こす。とくに思い出なんてないんですが。 

 しかしこの感傷的なきぶんというヤツは非常にやっかいなもので、政府の危険物認定がそろそろおりるかもしれない、というのはもう完全に嘘ですよ。って感じでこの三段落目まで、もういっさい意味のない文章を打ってしまいましたね。でもセンチメンタリズムというのはヤバイ。

 なぜならば、このセンチなきぶんがある一定量をオーバーすると死ぬ可能性がある。だって、センチメンタルというのはやっぱ今よりも昔を思うもので、その今が昔よりも劣悪な状況のばあい、明るい未来を嘱望することが出来ずに「あきらめ」の気持ちが強くなり、車に目張りようのガムテープと七輪、練炭を勘定して高速にのって富士の樹海へびゅーんってかんじなこともあるかもしれないからだ。

 それはやばい。だれかおれの孤独を、懊悩を、未来を、あたためてくれ! っておもって購入したのが、タイトルのほうじ茶ラテというドリンクである。やっとタイトルに追いつきましたね。

 そもそもほうじ茶がうまい。この香ばしいにおいはなんなんでしょうか。お茶特有のカフェインもすくなく、夜寝る前なんかに吻合する飲み物ですよね。

 それを、そのほうじ茶をあろうことか、牝牛から絞った体液で抽出し、その香ばしい残滓をおいたままに、濃厚な口当たりを可能にしたのが、かくなるほうじ茶ラテである。人間のエゴすげぇ!

 このほうじ茶ラテなにがすごいかっていうと、まぁなんだかコールドドリンクであっても、なんだかあったかい気持ちになるのだ。これはミルクティーなどにも似た副作用が見られるが、私という人体実験をおこなった結句、薫りの部分でほうじ茶ラテのほうに軍配があがると思われる。

 秋風のセンチメンタルによって、ひとりぼっちになったさびしい心に、ほうじ茶ラテをそっと注いでみる。あぁ、むかしもよかったけど、今はほうじ茶ラテがあるじゃあないか。こんな平成の世に生まれてこられて、ほんとうによかったなぁ、なんて思う。だから秋にはほうじ茶ラテが最強なんすよ。って支離滅裂。そして。

 

寝ゲロ、笑えない

 

 昨晩。息子がめっちゃ寝ゲロした。吐瀉物の大洪水だった。原因は風邪、による通院、による帰宅の遅延、による夕飯の遷延アンド咳とからまる痰、だと思われる。ふとんのシーツをとりかえ、洗濯をおこなった。それは深更にまでおよんだ。

 寝ゲロはきけんだ。ジミヘンもボンゾもそれで死んでいる。彼らは酔っ払っていた、というものあるだろうけれど。しかし三歳児が苦しくなったとき、その危機的状況を自己解決できるとはとうていおもえない。

 彼はそのあとも眠り続けていた。また嘔吐する危険性があったためどちらかひとりは息子の監視をすることにした。そうして私と妻は交代で家のことをした。

 朝。息子にシャワーをあびさせた。いやがったがまんじゅうで釣った。昨日、職場でいただいたものだった。小川さん、ありがとう。全部だしてしまったからだろうか、朝めしをむしゃむしゃ食べていた。かきたまうどん。そのうえまんじゅうを四つも食った。

 まんじゅうは「日本三大まんじゅう」のひとつ、らしかった。はじめて「日本三大まんじゅう」という概念を知った。いったい誰が決めたのだろうか。日本三大委員会とかがあるのだろうか、とおもった。たぶん文部省管轄。

 とにかく寝ゲロは剣呑だ。きをつけたほうがよい。俺も酒を死なないていどにしなければならないな、とおもった。さすがに昨晩は飲まなかった。そういえばその朝はガラスの回収日だった。たいりょうのウイスキーの壜がつまった袋はがしゃがしゃ鳴っていた。重たかったし、これをみた近所の住人が「業者?」とかん違いするような量だな、と妻といつも笑っている。いや、笑えない。

 

俺の子にも涙

 

 土曜。ハロウィンの会合を開催しよう、という算段になっていた。近所の子どもをたちを親同伴で近隣の邸宅に召集させるものだった。しかし私は欠席した。子と細君のみで行ってもらった。なぜか。かんぜんに悪い風邪をこじらせたのである。

 いやー、死ぬかと思いましたよ。さいしょはね、風邪でもひけば行かなくていいなーっておもってたんです。あまりそういった近所づきあいが得意なほうではないので。でもね、じっさい風邪ひいてみると、ほんと命の危険を感じましたね。ほんとうに生きているってすばらしい。

 そうして土曜の昼から翌日の日曜の昼まで寝込んでいたのだけれど、いっさいの食事をしなかった。断食。喉が痛くて食事などとおらない。この喉の痛みをかんじるくらいならこのまま飢餓状態に陥ったってかまわない! と勇を鼓したのである。

 なんだか呼吸困難なかんじだった。今回の風邪は。痰がからんで空気の気道が確保できないかんじだった。みんな気をつけて。

 日曜。そうして昼すぎに起床した。息子と細君はハロウィンパーティーたのしかったそうだ。よかったね。俺は死にそうだったけどね。独りでね。ほんとうの孤独とは誰かといるときに感じるものなんだよ。

 そんな小康状態に鞭打って、かいものにでかけた。外は沛然たる雨。こんなんじゃあ自転車でかいものにはいけない、と妻が言う。だから私が自動車を運転することになったのだ。はやく自動運転が成立してほしい。

 たくさん買い物をした。ショッピングモールは蜜柑色と茄子色で彩色されていた。スパイダーマンとかいらっしゃった。とくに感想はない。いつものスーパーのほうが肉類が安い。

 息子に「好きな食べ物なぁに?」とたずねた。そしたら「みかん!」だって。かわいい。

「ほかにすきなものなぁにってきいて」と息子がいう。

「じゃあ、ほかに好きなものなぁに?」と聞く。

「うーんとねぇ… パパ!!」

 俺は思わず息子を、きつく、つよく、己の感情のままに、抱きしめた。

 

秋風とストラトキャスター

 

 うわ! タイトルの語感めっちゃよくない? ってストラトの音がわかる人でなければこの八識に愁訴する感覚はわからないかもしれないけど、ストラトの寂しげな硬質の音が、とても秋風にマッチする。ストラトもってないけど。

 自転車のペダルをこいで保育園にむかった。後席に息子三歳をのせている。これがもうほんとうに重くてしゃあない。十月二十七日。お天気は晴れ。秋冷めた天空にうっすらとうろこ雲がならんでいた。

 頃日。保育園の朝番があやな先生だ。息子はあやな先生になついているので、あっさりと別れてくれる。すこしさみしい。だってバイバイも言ってくれない。「ようた、バイバイね!」と言うと、「ばいばいじゃねーよ」と言う。あやな先生の前だといっちょまえにつよがる。いきがる。悪ぶる。かっこつける。

 そういえばさいきん息子のくちが悪い。「おはよう!」というと「おはよーじゃねぇよ」という。たまに「おれが、おれが」という一人称をつかう。うーん、無骨。ミスドに行ったらオールドファッションしか食べない無骨ぐあいだ。

 保育園をでるとき。他の保護者とかちあった。私のほうが先にペダルを漕ぎ出した。しかし数分後、その保護者が猛烈な速度でわたしを追い抜いていった。須臾の間だった。すぐに黒い点になった。一瞬で地平線の彼方へきえていった。

 相手は電動の自転車だった。エレクトしまくっていた。俺は清冽な空を仰いだ。あいかわらず巻積雲が鷹揚に浮かんでいた。

 いま時代があせっている。いや、あせらないために急いているのか。どちらにせよ、みな生き急いでいる。はやさを競っている。スピード感をたいせつにしている。そんな気がした。

 俺はといえば、つぎの直通の電車までにしばらくあるので、ゆっくりとペダルを漕いだ。それはただの理由付けなのかもしれない。ほんとうは、秋風にはらんだ冷たい粒子の、すきとおった清涼感をかんじていたかったのかもしれない。自転車にのってイヤホンをつけるのは法律で禁止されているので、頭のなかでストラトキャスターをセンターポジションに設定し、クリーントーンのAマイナーをチャランと鳴らした。

 結句がかっこよすぎるだろ。