そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

ほうじ茶ラテとかいう秋最強のドリンク

 

 あるいは、と文頭へ唐突に接続詞をもってくると、なんだかかっこよいですよね。ってゆうか、日本皇国にうまれおちた僕た私たちはやはり四季を感じていたいナァなんて思う。

  そうしたわけで季節を感じる。秋。やはり秋というのは感傷的なきぶんに陥りやすい。思い出というのはとくににおいから喚起されることがおおく、金木犀の甘く突き抜ける香気はやはり俺の思い出を呼び起こす。とくに思い出なんてないんですが。 

 しかしこの感傷的なきぶんというヤツは非常にやっかいなもので、政府の危険物認定がそろそろおりるかもしれない、というのはもう完全に嘘ですよ。って感じでこの三段落目まで、もういっさい意味のない文章を打ってしまいましたね。でもセンチメンタリズムというのはヤバイ。

 なぜならば、このセンチなきぶんがある一定量をオーバーすると死ぬ可能性がある。だって、センチメンタルというのはやっぱ今よりも昔を思うもので、その今が昔よりも劣悪な状況のばあい、明るい未来を嘱望することが出来ずに「あきらめ」の気持ちが強くなり、車に目張りようのガムテープと七輪、練炭を勘定して高速にのって富士の樹海へびゅーんってかんじなこともあるかもしれないからだ。

 それはやばい。だれかおれの孤独を、懊悩を、未来を、あたためてくれ! っておもって購入したのが、タイトルのほうじ茶ラテというドリンクである。やっとタイトルに追いつきましたね。

 そもそもほうじ茶がうまい。この香ばしいにおいはなんなんでしょうか。お茶特有のカフェインもすくなく、夜寝る前なんかに吻合する飲み物ですよね。

 それを、そのほうじ茶をあろうことか、牝牛から絞った体液で抽出し、その香ばしい残滓をおいたままに、濃厚な口当たりを可能にしたのが、かくなるほうじ茶ラテである。人間のエゴすげぇ!

 このほうじ茶ラテなにがすごいかっていうと、まぁなんだかコールドドリンクであっても、なんだかあったかい気持ちになるのだ。これはミルクティーなどにも似た副作用が見られるが、私という人体実験をおこなった結句、薫りの部分でほうじ茶ラテのほうに軍配があがると思われる。

 秋風のセンチメンタルによって、ひとりぼっちになったさびしい心に、ほうじ茶ラテをそっと注いでみる。あぁ、むかしもよかったけど、今はほうじ茶ラテがあるじゃあないか。こんな平成の世に生まれてこられて、ほんとうによかったなぁ、なんて思う。だから秋にはほうじ茶ラテが最強なんすよ。って支離滅裂。そして。