そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

まるで天秤のようだ

 あっちのブログを間違えて公開してしまい、購読ブログにあがってしまったので急遽こちらで書いたブログを本ブログにアップしたのだが、こちらで一度あげてしまった内容なので、こんだぁこっちが上がってしまって、じゃぁこっちにもなにか書かんとナァとおもっているのだけれども、とくに書くことが無いから私の半生でも綴ろっかな。

 私は外交官の父と、モデルの母の間に生まれた。一九八六年、八月のロサンゼルスの産院だった。難産でたいへんだった、と母は語っている。

 そうしてロスで幼少期を過ごしたのだけれども、幼いころからIQが以上に高く、二歳の頃には論語を読んでいたという。そうして七歳の誕生日をむかえたときに大学の入試に合格して飛び級した。専門は異次元間における空間の立体的推移と宇宙塵チェレンコフ光線について。

 大学に入れば忙しくなるぞ、ということで、その夏。自家用の超音速機コンコルドにのって世界を巡っていたんだ。

 それはあまりにもいろんなところに行ったものさ。いちばんたのしかったのはマダガスカルだな。極秘にクローンで蘇らせたエピオルニスとかを見させてもらった。父は「いくらで買えるのか」といって政府の役人を困らせてたっけ。

 そうして運命の日がきた。わすれもしない。私たちがプエルトリコ上空を通ったとき、烈しい光につつまれた。世に言うバルミューダトライアングルだった。

 そうして気がつくと私は日本の静岡、安倍川の河川敷にいた。呆然とダンボールの中、「世捨て人です」の看板を持ち、立ちすくしていたところ、いまの母と呼べるべき望月氏にひろわれたのだった。

 生活しているうちに気がついたのは、過去の記憶がまったくないこと。そしてIQが一般人レベルまで低下していたこと。そうしてなにより特別だったのは左の目がなくなっていて、その代わりにその目玉から気色の悪い人体が生え、甲高い声でしゃべり続けてくることだった。

 どうやらその目玉の生命体には、バルミューダトライアングルで散り散りになった父の思念が封じられているようだった。だからわたしはこれを「とうさん」と呼んでいるのだけれど、もう日本の魑魅魍魎がおそってきて毎日が墓場で運動会。たのしいな。たのしいな。なんつって、生き別れた母を探している。