そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

希望がないってことに希望があった

 

 特定の宗教を拝しているわけではないけれど、神というか、そういった「見えざる手」のようなものが、おれの宿世を担っているのではないのか、という恐怖に心砕いている。とっても切実。おれは常になにかに怯え、警戒しながら生きている。

 

 だから願掛けというか、縁起物に弱いというか、験(げん)を担ぐような行為をするのだけれども、今現在、願いを込めて超がんばっているものごとのひとつに、断酒というものがある。

 

 妻が予想通り切迫早産であったため、とりあえず産まれて来ること、妻が元気でいられること、産まれ来る子が健康であること、などのまったくもって欲深い願望を、ただ酒を断つ、それだけの行為に託したのである。いやしい貧乏根性だ。あさましい。

 

 ただ、おれにとって酒とは真実である。「酒に真実あり」なんて昔のひとは言ったが、蓋しその通りであるとおもう。みな品行方正に努めているけれども、そこに真実はあるのか。あんちゃん。心にダムはあるのかい? と言いたくなるほどに、どうもこの世は虚飾に塗れている。おれはそう感じるのです。

 

 でもおれだって常住、真面目に生きているつもりだ。けれどもこれは嘘である。大嘘吐きだ。妙に明るくおどけてみせたってお前の本性はただの懈怠だ。欲求を叶えられぬと諦念したがためにうがった眼をもち、世を蔑み、他を排して己を賞しているだけだ。はっきり言ってクズ。いや、そこまで言わなくても。

 

 けれども、酒を飲んでいると、なんだか力が湧いてくる。ひょっとしていけるんじゃないか? と妙な自信が漲ってくる。おもわず、パワー! と叫びたくなる。両手を挙げれば地球上のみんなが元気を分けてくれるような気がする。そしてなによりも、すべての動息に纏綿とする虚飾をふりほどくことができるような気がする。酒飲みとはそんな可愛いものなのである。

 

 ゆえにおれにとって、酒を飲まぬというのは虚飾との闘諍なのである。この世の嘘、自分自身という嘘。ぬめぬめと身体髪膚にへばりつく。どうも嘘くさい。さっぱりしたい。ああ酒が飲みたい。落ち着きたい。そんな精神の安寧のために、おれには酒がひつようで、欠かせないマストアイテムなのである。

 

 でもでもだからこそ、この願掛けには功徳があると踏んだ。結果、母子ともに健康。懊悩した切迫早産もなんとか克服し、とりあえず息災な家庭がここに、ある。

 

 こう書くと、まるでおれが自分自身の英雄的犠牲を棚に上げ、勇者のように祭り上げているような印象操作があるとおもう。まぁはっきり言って「よくやってるね!」と称揚してほしい。いや、そういう魂胆があさましいと言っているのだ。そこんとこどうなんだ。

 

 だが、平穏というのは続かない。とつぜん、酒をもらってしまったのである。

 

 盲点であった。酒は買わねば手に入らぬと堅い信仰を抱いていたがために、余所さまから「いただく」という一縷の可能性を見出せなかった。粗忽であった。でもほんと信仰はひとを盲目にしますね。

 

 こういうときに「禁酒してんすよねー」とかるみをもって明かせない。松尾芭蕉という俳人は晩年、「侘び」「寂び」「しおり」「細み」の極地に「かるみ」を見出したという。おれももう既に三十二といえども、浅学寡聞という性分のためにいまだ「かるみ」を体得していないのである。無念である。

 

「もう奥さんも出産したんだし飲んじゃえばいいじゃん」と言うひともおるだろう。愚昧なやつらめ。おれの見立てによれば、彼らがいま息災健康にいられるのは、「妻が授乳を終了するまでは酒を飲まない」という神との前借契約によるものなのである。だからまだ飲んじゃ駄目なんだよ。

 

 だから飲むまい。いやしかし、こうも酒壜があるとね。まいっちゃう。眼の端にとまっちゃう。そのたんびに、あぁ…とか、うぅ…とか、くぉ…とか呻いちゃう。棚に仕舞えばいいじゃんね。

 

 かように呻吟する憐れな男の姿をみた妻が「お正月くらいならいいんじゃない?」などとぬかすのである。おまえ、今のおまえの健康は、だれのおかげで成り立っているとおもっておるのだ。おれの英雄的犠牲によって、神との厳粛な契約のうえに、この幸せは成り立っているのだ。いわば累卵の危うき。

 

 それをだ、「ちょっとならいいんじゃない」などと。おいおい。正気か、この女。おれのがんばりを反故にする気か。おれのいままでの純情はなんだったんだ。この神聖な祈りはなんだったんだ。年末年始は神も忙しいってかい。いや、そういう隠匿は暴かれるよ。

 

「でもお酒飲まないとちょっとぷりぷりしてるじゃん」と妻の談。嗚呼、晴天の霹靂。そうか。忘れていた。おれは眼に見えぬ神への意地の張り合いのために、見えていなかった。それはすなわち、この水晶体に映る家族の幸せ。そうか。まずこれを寵せねばならない。

 

 神がなんだ。おれは家庭の幸せのために酒を飲むだろう。そうして心の底からおどけてみせるのだ。それが家庭のハッピー。「家庭の幸福は諸悪の根源」といったのは誰だったか。こういうことなのかもしれない。けれども、おれはきっと酒を飲むだろう。元気で行こう。絶望するな。