そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

秋風とストラトキャスター

 

 うわ! タイトルの語感めっちゃよくない? ってストラトの音がわかる人でなければこの八識に愁訴する感覚はわからないかもしれないけど、ストラトの寂しげな硬質の音が、とても秋風にマッチする。ストラトもってないけど。

 自転車のペダルをこいで保育園にむかった。後席に息子三歳をのせている。これがもうほんとうに重くてしゃあない。十月二十七日。お天気は晴れ。秋冷めた天空にうっすらとうろこ雲がならんでいた。

 頃日。保育園の朝番があやな先生だ。息子はあやな先生になついているので、あっさりと別れてくれる。すこしさみしい。だってバイバイも言ってくれない。「ようた、バイバイね!」と言うと、「ばいばいじゃねーよ」と言う。あやな先生の前だといっちょまえにつよがる。いきがる。悪ぶる。かっこつける。

 そういえばさいきん息子のくちが悪い。「おはよう!」というと「おはよーじゃねぇよ」という。たまに「おれが、おれが」という一人称をつかう。うーん、無骨。ミスドに行ったらオールドファッションしか食べない無骨ぐあいだ。

 保育園をでるとき。他の保護者とかちあった。私のほうが先にペダルを漕ぎ出した。しかし数分後、その保護者が猛烈な速度でわたしを追い抜いていった。須臾の間だった。すぐに黒い点になった。一瞬で地平線の彼方へきえていった。

 相手は電動の自転車だった。エレクトしまくっていた。俺は清冽な空を仰いだ。あいかわらず巻積雲が鷹揚に浮かんでいた。

 いま時代があせっている。いや、あせらないために急いているのか。どちらにせよ、みな生き急いでいる。はやさを競っている。スピード感をたいせつにしている。そんな気がした。

 俺はといえば、つぎの直通の電車までにしばらくあるので、ゆっくりとペダルを漕いだ。それはただの理由付けなのかもしれない。ほんとうは、秋風にはらんだ冷たい粒子の、すきとおった清涼感をかんじていたかったのかもしれない。自転車にのってイヤホンをつけるのは法律で禁止されているので、頭のなかでストラトキャスターをセンターポジションに設定し、クリーントーンのAマイナーをチャランと鳴らした。

 結句がかっこよすぎるだろ。