そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

レジうちの中国人

 

 よくいくコンビニは中国人がレジをしている。ってか都心のコンビニって中国人しか働いていない。韓国人かもしれないけれど。あとは東南エイジア系ですか。

 勘定を済ませたあとで「レシートは?」と尋ねられる。この問いに俺はいつも「だいじょうぶです」と答えるのだが、はたしてこの「だいじょうぶ」の妙意が伝わっているかと不安になる。

 日本人の相手をおもんぱかる精神として、はっきりと「いらない」と言うのはどうも気後れしてしまう。語気が強まり、相手に精神的瑕疵をあたえてしまうのではないか、と思うからだ。古来より商都であった大阪人などは、伝統柄にきっぱりと「いらない」というが。ほんと人間としてどうかしている。

 だから、たいていのお断りの場合「だいじょうぶです」という。だが、相手は文革によって儒教の教えを失ってしまった夷狄のメイドインチャイナである。異国のコミュニケーションとしてこの文意など伝わるわけもない。ってか、いるorいらない、の問いに「だいじょうぶ」ってわけわかんねぇもんな。

 そこで俺は今後「いらないです」といおうと思った。しかし、ここでまた相手をおもんぱかる日本人の精神が発動してしまい、新たな問題が浮上した。

 それは向こう方の教育により、「日本人は相手をおもんぱかるニュアンスとして、だいじょうぶという言葉を、お断りの文句として使用する」という大和魂がすでに事前知識として普及伝播され、中国大陸に点在する「日本語会話のイーオン」にて水平展開されているかもしれない、ということである。

 かくなる事柄が周知されていてる中国人にたいして、「レシートは?」の問いに「いらないです」とお断りしてしまえば、その中国人をおもんぱかっていないように感じられてしまうし、同時に中国人から「こいつはほんとうに相手をおもんぱかることのできる日本人なのか?」という侮蔑を与えられてしまうのではないか? そんなことになったら、せっかくの俺の異国の人に対して微妙なニュアンスを持つ「だいじょうぶ」というお断りの文句を廃止した相手のことをおもんぱかる日本人の精神が裏目に出てしまう! やさしさが仇になる、といういつもの俺が損するパターンのやつだ! とおもったのである。

 しかも、相手はいつもレジをしてくれる中国人である。私が、いらないの意で「だいじょうぶです」をしようすることは承知のはずであるのに、そんななか急に明日から「いらないです」と言ったら、あの中国人はいったいどんな顔をするだろうか。きっと、コノヒト、キョウ、オコッテルアルカ? とおもうに違いない。

 そんな思いはさせられない。だから俺は明日からもレシートのお断りに「だいじょうぶです」といおうと思う。