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やっぱロックが好き

「まだロックが好き」のつづき

第28回 短編小説の集い「桜の季節」

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

桜の季節、といわれるとフジファブリックが出てくる。そんなテーマで短編小説を募集していると小耳にはさみ、ちょっとやってみた。

恥辱的であるが、やりたいことをやるべきだ、と思ったので挑戦した。また下手でもいいじゃん!チャレンジチャレンジ!みたいに言ってくれていたのでチャレンジチャレンジ!って感じです。

本ブログでやらないところが姑息であり卑下な心もちだが、そっちだと興味のない人に申し訳ないし、ってか恥ずいじゃん。小説って始めて書きました。むずかしい!

 

3049文字あります。宜しくお願い致します。

 

「桜のゆくえ」

 

腐敗する前に、というのが要点である。

まだらに褐色づきはじめた白桃色の花弁が濃縮されている。ミルクをこぼしたかのように側溝に沿って蓄積されている。白い流麗な曲線が邸内の玄関口へとつづくスロープにゆっくりと描き出された。

 

春は、やっかいだ。と小間使いは独白する。塩ビのホースを庭園から力まかせに引き伸ばしている。こぼれたミルクにホースの放出口を向け、また庭園へと舞い戻る。芝生がしめり光っている。蛇口をゆっくりと反時計りにひねる。もういちど玄関へ行き出水量を確認する。もうすこし強めに。そう思い再度庭園に走る。ぬれた芝生は青臭いにおいを放っている。そして蛇口をまた15度ほど開く。ただよう陽射しは優しかったが、たまに吹く風はすこし肌に刺さった。

 

シダ箒とちりとりでは、へばりつくばかりで解決しない。それはこの広い敷地の邸宅に来たときに教えてもらった。

「水で流すの。」

鼻筋のとおった端整な顔立ちの、背の高い女給仕からの指南だった。やさしく、でもどこか冷たい雰囲気の女給仕だった。彼女の給仕服はいつもバニラのような甘いにおいがしていた。

 

2年前からである。桜の花びらの処理は小間使いがしている。山間にあるこの御邸内にはもちろん桜の木があるが、なにより凶悪な春風にあおられ、ここにやってくる花弁がほとんどである。小間使いはホースの放出口をつまみ、圧縮した水圧でたんたんと地に落ちた花弁を流していく。いずれ散っていくのに水がもったいないな、と小間使いは思った。ホースをつかんだ掌が、土や枯芝生で汚れるのが気になった。

 

黄昏。西日差す赤橙色の書斎に小間使いは赴いた。だれぞかれは、と思う以前にそこに在るのはこの邸宅の持ち主であり、小間使いの主人である。丹念にニス塗りされたマホガニーの書斎机の前で、黒い革張りのソファに腰掛けている。アークロイヤルが煙になっていく。その粒子は西日を可視化させている。主人が居なおすと、鈍く光る革張りがぐっと鳴く。

「仕事はおわったか。」

「まだ桜は咲き続いて、吹き込んできます。終わりなんてありません。」

「桜の季節もじきに去る。汚い花弁が家の中に入るのはいやなんだ。」

小間使いは俯いたままであった。なにも考えていなかった。厳密に言えばこの瞬間を染めあげる橙について考えていた。オレンジ。果実にもオレンジというものがあるが、この橙が先にあったのか。それともオレンジという果実の色からこの橙はオレンジと名称されたのか。そんなことを考えていた。

「今夜わたしの部屋に来い。」

そう言って主人は琥珀色の蒸留酒をひとくち舐めた。

 「わかりました。それでは仕事に戻ります。」

小間使いは一礼して書斎のドアノブをひねった。しばらく歩いたあと胸の袂で空気を漏らした。やっかいだ。この夕日に焼かれて心が灰色になった気がした。

 

それは女給仕の役割であった。女給仕のやっていた仕事が小間使いに引き継がれていった。

 

女給仕は2年前にここを出て行った。その日は青黒い曇天から、ほそく、つめたい、線の長い雨が降っていた。小間使いは邸内の2階からそれを眺めていた。裏門に駐車している黒いミニバンに向かう透明なビニール傘の向こう側に彼女がいた。給仕服以外の格好をしているのを始めて見た。真っ白なブラウスと紺色のフレアスカートであった。声を掛けようか。そう迷って突き出し窓を上げた。雨天の湿気と雨音、それと同時に清潔な石けんのにおいが発った気がして、声が出なかった。

 

どうして女給仕はなにも言わずに出て行ってしまったのか。小間使いは芋の皮を剥きながら思案していた。ステンレスのシンクにはがれた芋の皮が落ちていく。白濁色が混ざっていた。

女給仕の表情は見えなかった。振り返らなかった。スライドドアの内側にすべりこんだ横顔は雨粒に紛れて滲んで見えなかった。顔が見えた気がした、と思い始めたころ「これは記憶の改変だな」と小間使いは自分の身勝手を呪った。それが悲しくて小間使いは考えるのを辞めた。

 

初めて訪れた主人の部屋は照明が落とされていた。廊下から伸びた光が先に入り込む。主人の飽食しきった怠惰な身体にぶつかった。「はいりなさい。」とだけ放ち、主人は背を向け部屋の暗闇になじんでいった。アークロイヤルのバニラの香りが風になびくカーテンのように踊っている。

 

暗闇の奥まで入っていく。小間使いは自分の眼球が角膜を広げていくのがわかった。見え始めるこの部屋の緊迫に厭悪した。気色の悪いベッドが鎮座している。大きなガラス窓からは夜の静寂が溢れている。

「すわって待っていなさい。」

と主人が放つと、彼は別室に向かった。呼気にアルコールが含まれていた。主人は行きしなにグラスの中身を煽った。

小間使いはベッドの縁に腰掛けた。鼓動が大きく鳴っていたがしだいに暗闇に順応した。するとガラス窓の向こう側がやたら眩しくみえはじめた。衣擦れさえも耳障りな静寂が、うるさかった。

主人が消えた暗闇から音楽が流れた。チャーリー・パーカーだ。なめらかなアルトサックスのフレーズが鳥のように飛び交っている。同時に水の細い線がはねる音も聞こえた。

小間使いの感覚は鋭くなっていった。いまならバードのようなサックスも吹けるんじゃないか。とさえ思った。部屋を見渡すと主人がどんな人間であるのか、わかる気がした。目に付いたのはシェルフの上に沈黙している太刀と脇差であった。

 

おもむろに手にとってみる。太刀には黒い重圧があった。鍔を鞘から少し離す。刀身に小間使いの眼光が反射した。血と脂の匂いがした。あまりに重厚な空気に圧倒され、小間使いはその狂気をもとに戻した。

脇差を手に取る。太刀よりも手になじんだ。鞘を一直線に払う。刃には青白い夜が写っていた。脇差の柄と小間使いの掌は混じった。

 

その銀色は主人の下腹部に溶けた。するりと溶けていった。人間の肋骨は二十四本ある。その合間をまっすぐに通った。小間使いはシャワールームの中で赤い湯気が立ち上る感覚を覚えていた。主人の脇腹から滔々と流れ落ちる血がシャワーから排出される熱い湯と交じり合っていた。生臭い鉄のにおいがした。

 

真っ白だった。小間使いの心は純白であった。脇差と一体になった掌を正眼に構え、主人に向けただけであった。小間使いはゆっくりと主人に近づいた。切っ先が触れた瞬間、一筋の血流が濡れた肌の水分に希釈され、よろめきながら主人の両脚を這い、ユニットバスの合成樹脂に着地した。それから先は排水溝に吸い込まれていった。小間使いはホースで流すあの桜の花びらを思い出していた。掌に付着する血よりも人体の脂分に嫌悪した。

 

シャワールームで尻餅をついたままの主人はもう動かなかった。床に流れた血はすべて洗い流した。小間使いは濡れてしまった衣類を交換したいと思い、すべてをそのままにして自分の部屋に戻った。もったいないのでシャワーの水だけは止めた。チャーリー・パーカーは奔放なサックスを吹き続けていた。

 

部屋にもどり着替えをした。白いシャツと濃い色のデニムのジーパン。長いことこの格好を続けている。女給仕たちと違い小間使いには給仕服があてられなかった。すこし形のちがう自前の制服を着まわしていた。今日はよりによって一番着古した組み合わせだった。シャツはもうくたくたにしわがれている。ところどころ生地が薄くなっている。だけどそれを着てベッドに入り、少し眠った。

 

明朝。小間使いは正面玄関のスロープを下り邸宅を出た。よく晴れた風のつよい、桜の舞い散る春の日だった。