そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

音楽作ってるときがいちばん楽しい

 アイフォンにガレージバンドというアプリがはいっている。すこし前、これでよくデモ音源を作っていた。通勤中にドラムいぢったり、ピアノでメロつくったりできるし、竿モノをアイリグというメカに接合し、アイリグをアイフォンに接合することによって、ダイレクトボックスの役割を果たし、ガレージバンド内に竿モノから撥弦されたエネルギーを波動として記録できるので、それを編集するのがたやすかったからである。

 

 めっきりバンド活動もしなくなったため、このアプリほぼ使っていなかった。いや、たまに自分の曲を聴いて、かっけぇ! ってなって、やっぱおれって才能あんじゃんとかおもったりすることもあったけれども。

 

 ギターを弾くことも少なくなった。週末は子どもと遊んでいることが多いし、帰宅後は妻と海外ドラマや映画をみることで時間がつぶれる。あとまぁ家事だよ家事。生きるということは連続的な家事をいかにいなしていくかである。めんどい。

 

 そいでこないだ、ひさびさにガレージバンドを起動させてみた。アコギでてきとうに四小節のバッキングトラックをつくって、ループさせ、ブルートゥースでスピーカーに飛ばし、それに合わせて適当にギターを弾いてみたのである。

 

 すごく楽しかった。ぜんぜん弾けなかったけど。なんかガレージバンドのループがうまい具合繋がらなくてやきもきしたけれども、つたないスリーフィンガーの、ぽろぽろと零れおちるアルペジオ。それを縫うようにアドリブっぽいソロを当てていくだけなのだけれど、やっぱ楽しい。たったこれだけのことなのに、なんだか「なにかを生み出している」感があった。

 

 むかし「音楽とは擬態である」となにかの読み物にあった。ミンストレルショーからはじまるそれはやはり白人による黒人の模倣、つまり擬態である、と。だから要するに音楽、ショウビズというのは「なにものかになりきる」ことが枢要なのだ、と。

 

 なんだかこうして音を重ねていくだけの行為であっても、なにかを生み出せる超すごいひと、みたいな「なりきり」感があった。となりで妻がスマホをいぢっていたのだが、ここぞとばかりにおれは「おれ今アーティスト活動中だから」感をアピールしたくなったりもした。

 

 やっぱり音楽を作っているときがいちばん楽しい。こんな簡単なやつだけで音楽を作るなんていうのも正気の沙汰ではないけれど、そうおもった。もうちょっといろんなスケールとか覚えようかな、なんておもった。