そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

普通の日々よ

 ふつうに生きる。これほど難渋を極めることもないとおもう。おれも三十二年の馬齢を重ねてはいるが、今までふつうに生きれたためしがない。

 

 そんなちょっとネガティブなことを洩らすと「ふつうじゃなくたっていいじゃないか」という、ずいぶん暴力的な意見が飛びかってくるが、それはちがうとおもう。

 

 なにがちがうのかというと、貴殿のようななんとなくふつうに生きてこられた人が「ふつうじゃなくてもいい」というのは説得力に欠ける、ということであって、ふつうに生きられないひとというのは基本的に「ふつうになりたい」と懇願するものであるからである。「せめて人並みに」とおもうからである。である。

 

「ふつうじゃなくてもいい」にはけっこうポジティブなニュアンスが含まれていて、特別なあなたでいいのよ、というステラおばさんがクッキーを焼いてくれそうな、すごく慈愛にみちたフレーズであるけれども、こっちとしては「いやいやそれはふつうじゃないに一縷の希望がつまっているパターンであって、こっちはせめて周囲のにんげんとおなじスタートラインに立ちたいだけなのそれだけなの」という含意があって、希望や光がゼロ、ウルトラうばたまの闇のどん底であるわけだから、それを「そのままでいい。特別なあなたじゃないか」みたいなかんじで言われても、じゃあおまえこっちの立場になってみろよ。おまえがおれの人生を送ったら精神やられてすでに自殺してるぜ? とおもうわけですね。

 

 じゃあ、どんな言葉をかければよいのか、というと、そこはやっぱコミュの基本三大要素である同調を使用すべきで「ふつうってむずかしいよね」と言うしかアンサーは無いとおもう。

 

 だが「ふつう」になるために指を咥えてまっているほどおれは惰弱なにんげんではない。おれ、がんばる。だからさいきん、あるひとつのアクションをおこした。それはつまり、フルグラ生活をはじめたのである。

 

 フルーツグラノーラという乾燥食品には食物繊維がいっぱい詰まっており、食えばたちまちにして元気にうんこができ、健康で丈夫なボディが手に入るらしい。そして健康で丈夫なボディをもってして生きれば「ふつう」の生活が手に入るらしのである。

 

 そんな魅力的なアイテムがこの世に存在するなどちっともおもってみなかったし、そんなものは基本的に詐欺や瞞着のたぐいである、と決め付けていたのだが、いやぁ、これがどうもなかなか。いい具合に「ふつう」の生活が手にはいったのである。

 

 どんなふうに「ふつう」なのか。それはつまり、牛乳パックがいつでもすぐそこにある、ということである。

 

 ちょっと説明がひつようですね。つまり嗣子たる三歳児がこども園に通っているのですよ。すると幼稚園から出し抜けに「各家庭から牛乳パックを持参してください」と強制されることがあるのである。

 

 フルグラ生活をはじめる前までは、拙宅に牛乳パックなどなかった。牛乳を飲む文化がなかったのである。しかし幼稚園は、さも牛乳パックが各家庭には常に存在しているかのようにモノを申してくるのである。

 

 以前その「お知らせ」をうけ、おれと妻は戦慄した。手足をぶるぶると震わせながら、冷汗三斗。我が家にはそんなアイテム存在しないんですけど? どうすればいいの? 「ふつう」の御宅には牛乳パックがあるの? それが「ふつう」なの? なんてぐあいに超慄然としたのである。

 

 しかし、今はどうだ。牛乳パック。あるある。いつ何時でも牛乳パックの徴収があっても対応できる。これもフルグラ生活をはじめたたまものである。いいよね、やっぱふつうって。すばらしいよね。みなさんもフルグラ生活でふつうの日々を手に入れよう。