そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

光とか実際苦手で

 陰気に生くるよりは、サンバのリズムで陽気に生くるほうが、やっぱいいじゃん! なんてことを情理を尽くして説いてみたところで、やはり希望ではなく、比較的絶望サイドに立たされている現代ニッポンの民草は、きっと「うるせぇよ」とおもうにちがいない。

 

 じじつ、おれもそうだ。この日々に光が見つけられない。このままおめおめと生きていくことは可能だけれど、ずっとこころの空隙を寂寥で埋めるような日々をすごしていくだけなのである。ものすごく陰気である。

 

 これじゃあかんよ。マジで。このまま陰のパワーに侵されつづければ、おれにはハッピーなエンディングはおとずれない。やってこない。手に入らない。世の中には「引き寄せの法則」というものがあって、ハッピーでいるためには、ハッピーなことをしなければいけない。つまり陽気に生きたいのならば、陽気でいなければいけないのである。

 

 ということで、陽気まくりたいおれは、手ごろな陰気から抹消していくことをここに決意した。眦をキッっとね。で、手始めになにからしよっか。お、あったあった。手ごろな陰気。これじゃよ。って陰毛、ますはこれを陽毛にしたいな、と思い至ったのである。

 

 陰毛の定義というのは、いわば「隠れている」ということだとおもう。つまりおれたちのこの頭髪、これは「隠れていない」、いわば陽毛であって、逆に陰茎の上部に鬱蒼としている、ふだんはパンツのしたに隠れているものが陰毛なのである。

 

 でも、だからといって陰毛を丸出しにして往来を泰然自若に闊歩する、なんて真似は、数多のひとに言えぬようなことをしてきたおれでも、さすがに憚りごとである。法律で禁止されています。

 

 法をやぶる勇気があればいいのだが、そうもできない。あぁ、なんてこった。こうしておれはまた自分で自分の可能性を殺す。やはりおれには無理なのかもしれない。陰気な人の道を歩くしかない。おれは一生涯、陽気に生くることはできぬのである。

 

 でも、待って。これは人民が集合している往来、ショッピングセンター、駅、公共施設、飲食店などでおこなわなければいいだけであって、自分ちならば、どんなに陰毛を陽毛としてさらけ出してしても、なにも問題はないのではないか。

 

 あはは。そうじゃん。答えはけっこう簡単だった。ということで、おれは陰毛を陽毛にクラスチェンジさすべく、頭髪とどうようの待遇を処そうとドライヤーという乾燥メカを陰毛にあててみたのである。

 

 さっぱりした気持ちにはなったが、こんなことをしている自分が、なんだか恥ずかしくてたまらなくなった。あ、おれ今けっこう死にたいわ。なんて、とても陰気な気持ちになった。陽気を目指していたのに、どうしてなんだろう。