そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

きみが笑えば解決することばかり

 ふざけやがって。ばかやろう。なんなんだ。この暑さは。お天気のスケジュールもむちゃくちゃじゃないか。どうかしてるぜ。あほんだら。すっとこどっこい。その他もろもろあっておれは怒りに充ちている。

 

 金曜。息子がけがを負った。幼稚園でおともだちにプッシングされたようだ。悪意のあるファウルである。はい、森田くん退場です。かなりの侵害受容であったらしく、幼稚園の教室は息子のしぼった涙と絶叫で、まったくとんでもないことになりましたな、みたいなかんじだったらしい。

 

 頭をしたたかに打ちつけたため、「頭はやべぇ」ってなって近くのクリニックに搬送された。まぁ頭というよりは眼窩にちかいこめかみで、数センチの傷はあるが、それよりも内出血がひどく、まるで試合後のボクサー、もしくはサンドイッチマンの富澤みたいな風采になっている。

 

 土曜。七夕おんがく会。息子のハレ舞台なのに顔面にはガーゼ、である。くそう。だが、さすがおれと妻の子。そんなハンデがあるにもかかわらず、舞台上でもっとも顔面の偏差値は高かった。なによりも放埓なふるまいがロックだった。

 

 場内では「カメラは目線の高さで、頭のうえにはあげないように」とアナウンスがあったにもかかわらず、あはは、馬鹿がいやがる。おれの前方にはカメラを頭上高く掲げた婆がいる。

 

 てめぇ。なんなんだ。くそか。おいこら。おれは燃えたよ。慷慨だよ。ここで婆を放って置くことは、社会の毒になる。なぜならあの婆がカメラを頭上に掲げることによって他の心無い馬鹿が「あ、あのひとカメラをあげてる。アナウンスはポーズであって、暗黙の諒解的にカメラは掲げていいんだ。子をおもう親の気持ちが勝るんだ」なんておもう兵六玉がおるかもしれんのだ。あかんよこれは。しかも婆は前のほうの席だ。みんなの邪魔にもなる。

 

 だが、むような軋轢を生じさせて疲弊することは良くない。しかも妻の談によれば、あの婆の横に座しているのは幼稚園のクラスの役員長であるらしい。つまりあの婆はクラス役員長の母であり、ここで婆を叱責することによって、おれは、っちゅうかおれの息子はもしかしたら幼稚園で村八分にされる可能性だってあるのだ。

 

 しがらみである。世の中に黙しておったほうがよいこともある、なんてことであるけれども、それもこれもしがらみのせいである。世界はそういった「正しい行いが間違いである」場合がある。そんな世界のムードはおれのハートに余計に火をつけるぜ。おれはアイフォンでグーグルをひらき「呪い 方法」と「暗殺 相場」をサーチングした。

 

 でも、そんなときでも、息子は笑っていた。かわいかった。紅顔の美少年。舞台のうえから、おれと妻を発見したようで、莞爾とした。大きなこえで歌をうたっていた。振り付けはあいまいであったし、カスタネットも両手をつかって鳴らすのではなく、片手のみで、手首のスナップをきかせ、遠心力を利用し、それを鳴らしていた。

 

 常識では考えられないカスタネットの鳴らし方と、その笑顔のパワーによって、おれはまるで去勢された猫のように、この世の怒りなど、どうでもよくなってしまった。

 

 日曜。夏祭りの甚平を購入するため、アーンド仮面ライダーの映画前売り券をゲットするために、ちかくのショッピングモールへ参った。前売り券は前日より発売していたが、おんがく会、けがによるクリニック通院により、ひとあし遅かった。というのは前売り券に付属するはずの特典が終了してしまっていたのだ。

 

 ツイッターなどの情報によると、転売目的であったり、コレクションのために大人が買い占める、などの行為によって即売したそうだ。子どもに渡してやれよ……ともおもったが、子どもは遊んだらすぐ飽きる。たぶんモノとしてだいじにするのは大人のコレクターだろう。だから、まぁしゃあねぇか、みたいなかんじにはなったが、がんらいの目的はちがうんじゃねぇのか? みたいな気分にもなってどうも釈然としなかった。転売は赦すまじ。

 

 だが、その日も息子はよく笑っていた。玩具屋でぐずりもした。けれどわらっていることがおおかった。たのしかったのだ、とおもいたい。一緒にあそんでいると、稚気にみちた、頑是無いはしゃぐ笑い声を発していて、はまりこんだ憂き目など、もう忘れてしまうほどであった。

 

 よく笑う子になってくれた。かれの天性もあるだろうが、たぶん妻のおかげ。へらへらしていることもあって、どうしようもねぇすっとこどっこいだけれど、どんな怒りも悲しみも、恨みも、妬みも、君が笑えば解決することばかりだ。