そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

父の日参観にいってかんじた才能

 過日。日曜。朝。サ~ンデ、モニン。ってのはベルベットアンダーグラウンドアンドニコ。サンデーモーニン、ディアマイフレンッ! ってのはくるり岸田繁は逆から読んでも岸田繁、になりそうでぜんぜんならない。そんな「けだまだらけ」みたいな存在。

 

 三歳児がやっかいになっている幼稚園にて、父親参観日が開催された。快哉をさけび参観した。天には雲がたれこめていて、重苦しい光のなかであったが、三歳児にはそんなことは無縁であった。いっぽうおれは扁桃腺炎で高熱にうかされ、まるでひさしぶりにやったバイオハザードのような操作のしにくい身体をもち、なんども場面をいったりきたりしていた。

 

 まずはクラスに輻輳しごあいさつをした。そして「あさのうた」をうたう。せんせいおはよー、みなさんおはよー。おはなもにこにこわらあっています。おーはよ、おはよー。文字にすれば稚気にみちているが、鼓膜をつんざく大絶唱であった。大気のびりつく振動。天然のディストーションがそこにあった。

 

 先生のほうを向いて座することを、おへそすわり、というらしい。三十一歳は学問した。そうして先生が講壇しているとき、雇われカメラマンが闖入してきた。かれがフラッシュを焚くたび、おれの息子が「うっ…」とか「ぎゃっ…」とか「あぅ…」とかうめきながら、えびぞる。彼は撃たれていたのだ。フラッシュに。そんな被弾を、ただひとり繰り返している息子に諧謔の才をかんじた。

 

 ひととおりクラスでの騒乱がおわったあと、各部屋にてさらなる擾乱があった。ディズニー体操をする息子は、この地球上のすべての哺乳類の嬰児における「愛らしさ」を抽出したって比することのできぬ、狂おしさをはなっていた。ちなみにアンパンマン体操は赤ちゃんの体操だからやらないそうです。

 

 あとは創作物をつくったりして帰宅した。たのしかった。熱出てたけど。内部構造を把握している三歳児の、幼稚園での動線をみていると、おれの知らないところでおれの息子は生きているのだ、と神韻縹渺たるおもいをいだいた。

 

 なんかの読本で、親が愛していれば子も愛することを知る、みたいなことを勉学した。そうかなー? とおもった。愛は才能だよ。才能。

 

 おれはひとを愛することにかんしては天才なので、息子のことを超愛しているし、妻のことだって超好き。だが、世の中にはじぶんの子を愛せないひとだっている。かなしいことだけれども、そういうひともいる。おれたちは二足歩行の才能があって、当たり前のようにそれができるけれども、先天的にできないひともいる。そういうものだとおもう。おれは。

 

 そうおもうと、「父親の愛をうけなかったから、父親にはなれない」みたいな言動は、まったくもって誤謬といわざるを得ない。たしかに、生きる道は親によって、待ち合わせの時刻のように振り回されるけれど、魂に宿っている愛の才能はそんなことで消えやしない、芯の奥から発火している鉱石なのだとおもう。

 

 もし世界のどこかで、おれのジーン上の父親が、えたりかしこしと「離婚した親の子は離婚しやすいのだ。おまえはいずれその愛を失う」とおれを呪っていたとしよう。

 

 だが、ざんねんながらおれには超人的な愛の才能があったので、それの呪いをはねつけてしまう。はねかえった呪いは、光の弾となって父の腹にヒットし、「うっ…」とか「ぎゃっ…」とか「あぅ…」とかうめきながら、えびぞる。そしてあばらが砕け散る。苦しむ父を前にして、おれは太宰の科白をかりてこう言うのだ。

 

「家庭の幸福は、諸悪の根源だったな」

 

今週のお題「おとうさん」