そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

風邪をひいた

 おれは二年に一度、仰臥するほどの風邪をひくことがある。おそらくワールドカップアレルギー。それが土日のことであった。風邪自体は土曜に治癒したのだが、熱が出ると扁桃炎になるくせがついてしまっているので、いまだ小康を得たとは言いがたい。

 

 風邪をひくと、ベッドのなかで身じろぎひとつせず、膝をまるめ、胎児のように養生しているときがながい。しかし、にんげん病床の身といえども、動かねばならぬときがある。

 

 おれはこの「動きたくないのに動かねばならない。否、動かねばならぬのは動くことによって得られる快癒の瑞祥をえるためなので、決して動きたくないわけではない」という、文学的な局面になんども困じ果てることになる。よって、本稿ではこの問題を「動きと快復の葛藤」として定義し、以下そのように記述する。

 

「動きと快復の葛藤」としてまず直面するのが、汗のもんだいである。

 

 風邪をひいたときは水分をよく摂取し、たくさん汗をかくのが良い。という土着的な民族療治を施工している。そのため、大塚製薬が開発したポカリスエットをがぶ飲みし、毛布にくるまって猫のように眠るのだが、そうしていると汗をかく。

 

 輾することもなく、ぢっとしていると世界がとまったようになる。風邪による大腿骨のきしみや、寒気悪寒、各種絶望などを感ずることもあるが、それは身をひそめることによって、比較的ニュアンスの弱いものになる。

 

 だからぢっとしていたい。しかし、ぢっとしていると外的要因による腰の痛みなどをおぼえるのでうごきたくなる。だが、すこしでも身をよじると、衣服のあいだに隙間があき、そこから発汗による蒸気が噴出する。むせかえるような熱い蒸気だ。不快なことこのうえない。さらにその衣服のあいだには冷たい気流がながれこむため、悪寒寒気に之繞をかける結句となる。

 

 また毛布に付着した汗や体液なども、身をひるがえすことによって、その湿り気を、あらたにかんじることになる。これもまたおびただしいほどの不快感を発生させることになるのである。

 

 だからうごきたくない。だが、うごかねば腰や身体に負荷がかかる。しびれもでてくる。もしかしたらその負荷によって血流が阻害され、指先などが壊死するかもしれない。いったいどうすればいいんだ!

 

「動きと快復の葛藤」第二の刺客は、飢渇のもんだい、である。

 

 風邪を早期に治療するためには、水分の摂取が原則的に欠かせない。よって水を飲もうとおもうのだが、はたして、おれは本当になおるのか? という猜疑が、地縛霊のようにつきまとう。

 

 水を摂取するためには、「動きと快復の葛藤」をへなければならない。汗の不快さもある。そんな苦労をしてまで、水を飲むべきなのか? という惑いが生じる。

 

 なぜなら、おれは人生において主役ではないからである。物語の主人公というのは、こういった苦境を乗り切ったときに、あたらしい展望が開かれることがある。しかし、三十一年の馬齢をかさねた結果、おれはおれの人生において主人公ではない、とかんじた。なぜなら、苦境をのりこえてもあたらしい展望など開かれなかったからだ。

 

 ゆえにおれには、諦念のへきがある。「どうせおれなんかなにやったってだめだ」という、いわば捨て鉢な人生。二十歳くらいのときにかんじたこの生きる道のうえの虚無感。だから、不快なおもいをして、苦境をのりこえて水分を摂取したって、おれの風邪は平癒しないのだ、という自暴自棄。

 

 だが、生理的にどうしても水分を所望することだってある。だからポカリを飲みたい。だが、「動きと快復の葛藤」があるために一ミリの動作もしたくない。

 

 重い雲がたれこめた曇天であった。唐紙を幾重にもしたような暗い光のなかで、おれはどうすべきだったのだろう。そんな葛藤のなか、おれは決断を奮い起こした。ポカリを飲む、という決断である。

 

 これはおれのためではない。明くる日曜。息子の幼稚園で父親参観がかいさいされるよていだったのだ。おれは行きたい。おれのためでもあるが、息子のためでもある。今日は遊んでやれなかった。そんな罪の意識をもって、いまを精一杯生きよう、と決心した。それはつまり、水分をとって眠る、ということにほかならない。

 

 おれは「動きと快復の葛藤」に手ずからピリオドをうった。いこうぜ、ピリオドの向こうへ。こんな科白をいうのは今般、綾小路翔とおれくらいだろう。そんなことを考えながら、深く呼吸し、「おならはくさくなかったら罪に問われないのでは?」なんてことも考えながら、おれはまぶたを結び、ふたたび、うばたまの闇を見つめたのだった。

 

 そうして、日曜。風邪は治癒できたが、まだ扁桃炎の残るからだで、幼稚園に推参した。念のために記載すれば扁桃炎はうつらない。だいじょうぶだっつうの。高熱を帯びたおれの体はおびただしいほどの汗を発し、幻惑的な浮遊感につつまれていた。この浮遊感は、どこかスーパーマリオU.S.Aの操作のしにくさに似ていた。参観日のようすは別途、日記に記すことにしたい。