そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

ファックフォーエバー

 トマトの実態について勘案していた。すなわち、トマトの本体とは内部のドゥルドゥルなのか。それとも表皮したの肉厚部分なのか。というポイントである。

 

 妻とひさしぶりに意見が一致したのだが、それは、トマトは皮の肉厚ぶぶんのほうがうまい、ということである。ゆえに個人的に、ってゆうか望月家的に、トマトの実態は皮の肉厚のぶぶんであってほしい。ということになる。

 

 ただ、おもうに。おれたち現代人は答えを求めすぎているんじゃないだろうか。いつだってそうだ。なにかにつけてはっきりさせようとしすぎている。理非曲直を判然とさせようとしすぎている。そんな破邪顕正、いりますか?

 

 はっきりさせなくてもいい。あやふやなまんまでいい。そうだとおもう。それはトマトのドゥルドゥルのように、種なのか、胚なのか、実なのか、よくわかんないままの存在でいい、ということである。つまりトマトのドゥルドゥルにはそういった曖昧な真実があるので、トマトはドゥルドゥルのほうがすごいということに帰結し、なんだか望月家的には、辛酸をなめたような結句におわったのである。

 

 本日邪魔した皮膚科がとてもよかった。対応が端的ですばやく、すいすいだった。ナイス。運動公園ですこしあそんだ。ほんのり曇天。国道沿いのその運動公園は、木々によって排気ガスから守られていたような気がした。昼餉がマクダーナル。いぬのぬいぐるみを手に入れた。

 

 ピー肉とローストポークと野菜汁を作った。ヘルシオの機能はもっと使用すべきだとおもった。晩飯は冷やし中華。息子のリクエスト。涙のリクエスト。バナナの感動。

 

 さいきん、歌モノがぜんぜんはいってこない。ゆえにジャズのようなインストばかり耳に入れている。昨日からジョンスコとビルエバばかり聴いている。ビルエバのピアノはやっぱいい。静謐な音をおいてくるかんじ。さざなみのように寄せては返すルバートのなかで、ひとつひとつ星屑をつまんでは置き、つまんでは置き、という作業的なふんいきもかんじるが、痩身のインテリジェントな翳を帯びたウェリントンめがねの男からは静かな熱狂を覚える。かっこいい。

 

 でも車中ではリンキンとジャームスを聴いた。中原昌也が言っていたが、いい音楽って、演奏技術があるとか、曲がいいとか、オリジナリティがあるとか、そんなんじゃない。おれもそうおもう。

 

 アマゾンで購入したスイスなんとかっていうココアがうまかった。濃厚。農耕。トマトを育てたい。