そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

ミルキー

 昨日。息子にはじめてミルキーを与えた。息子は一粒のミルキーを猜疑心たっぷりに見つめ、それをほおばった。そのときの霧がかった鬱蒼たる深い森から、ぱっ、とひらけた場所、それはきっと南国のヤシの木が生えた紺碧のビーチで軽快なラテンミュージックが鳴っているような場所、に出たときのような、晴れ晴れとした顔面への変化がとても気持ちのよいものであった。

 

 さいきん気がついたことがある。子どもには親が選んだものを与えるのもいいな、ということである。おれと妻はできるだけ経済的に生きるエコノミックアニマルなので、無駄な消費はできぬゆえに、お互いのプレゼントというものは「相手がほしいもの」を現地調達することにしている。

 

 息子にもその方式を適用していたのだが、かれは玩具屋にいくと遊戯にふけってしまい、なかなかものを選定できない。そこでおれがホットウィールのセットを選んでさしあげたのだが、それをとても喜んでくれた。わぁー、ぱぱ、いいのをえらんでくれてありがとう! だって。くぅー、かわいいぜ。

 

 三歳児にも欲求はあるようで、トミカがほしい、とか、恐竜がほしい、とか、ビルドのボトルがほしい、とか、彼らも物質世界に囚われていて、たいへんだなぁ、資本主義だなぁ、なんておもう。

 

 だから「これあげるよ」つって譲渡したものがそぐわないと「これじゃない…」的ふんいきになるので、できればそれは避けたい。だが、たまにはこうやって「これはすきそうだな」というものを献上するのも、なかなかいいな、とおもったのであった。

 

 ゆえに。おれはミルキーを購入し、昨日の朝まで保管しておいた。息子は自身の気に入ったものしか食べないので、「ミルキー食うか?」ちゅっても、かぶりをふって「いらない」と示す。しかし、ひとたび包装紙をめくり、乳白色の粒を出さしめ、おれが食っていると、こちらに寄ってきて興味ありげな濡れた瞳をかかげてくる。

 

 そうして、もう一粒あたらしいミルキーを出すと、まずは舌の先でペロッと舐め、毒ではないことを確認し、そしてその甘露をかんじた彼は、それをほおばったのでる。

 

 ミルキーはママの味。なんて惹句がある。たしかに、あの練乳を凝固せしめたような口腔内にへばりつくような甘みは、とてもクリーミーで永劫的な持続性があり、そしてそれは鼻に抜けるときに、甘さゆえのちょっとした酸味を放つのだが、それはおかあさんの首筋の匂いのような、抱きしめられたときのような優しさがあって、やっぱパパの味ではないよなぁ。なんておもう。

 

 けれども、息子のミルキー原初体験をにぎったのは、おれだ。ははは、ざんねんだったな。彼にとってはミルキーはパパからの味なのだよ。つって、今日も与えていたら「虫歯になるよ」って妻に言われて、なるほどなーそういうとこちゃんとお母さんやな。しっかりしてはるわ。えらいわ。でもミルキーうまいよな。どんな困難があってもまた一緒に食いたい。