そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

VS試食

 なんだかめんどうな仕事をふられそうになったとき、「まッたまた~」と相好を崩しながら、「冗談がおじょうずね」みたいな感じで云うと、けっこう回避できることがある。 

 いわばこれは現代社会を生きるうえでのサバイバルテクニックである。むろん、その環境における自身の立場、役職、キャラクター、人望、今後の出世街道などを深慮遠謀したうえでおこなったほうがよい。

 そういったワンフレーズで世界を切り拓く。ことばの魔力だ。さいきん試食コーナーで最強の一文を発見した。

 まず試食についてである。土曜日曜のスーパーマーケットなどで爪楊枝にさして少量の食品を分配するあの試食である。

 わたしのなかで試食というのは敷居が高い。なんというか、「食ったら買わなきゃいけない」みたいな責任が生じてしまう。

 そんなことべつだん試食販売員は気にもしていないと思う。それらが売れたって販売員の給銀がアップするわけでもないだろう。

 なのになぜか試食を食うと、その場に強力な磁場が発生し、「これを買うまでは離れてはいけない。そんな気がする」なんておもってしまう。そのうち販売員の口車にのせられて、たいして必要のないものを購入してしまう。なんでなん。

 過日。ヤクルトコーナーで同株式会社製のジョアという飲料の試飲をおこなっていた。息子が飲みたがったので頂戴した。販売員が「いかがです?」と妻に云う。気の弱い妻は「どうしようかなー」なんて云う。

 そう。試食をいただくさい、きほんてきにこちらも「そもそも買う気でいますよ」みたいなオーラを帯びることが、一種の礼節となっている。これはオリンピックに向けて外国人に説明をしたほうがよいかもしれませんね。

 そうして私に尋ねてきた妻に、販売員は「ヤクルトも本日お安いですよ」と云った。この発言はまさに販売員が墓穴をほったという形になった。

「昨日、ヤクルト買っちゃったからなー」

 これである。この日の前日、じっさい私は息子ようのヤクルトを購入していた。ゆえに消費期限などを考慮すれば、まじでリアルにいらなかったのである。

 この発言により、試食という強力な結界からたやすく脱出することができた。と、同時に販売員から「あ、そうなんですね、すみません。いつもありがとうございます。あ、あ、あ、でも昨日と同じ値段です」と云われた。

 まぁ私がヤクルトを購入したのは他の店舗だったので、正規の値段で購入したのだが、販売員からすれば「特売の値段で購入していないお客様を、その差額によって損失を生んだ、などと思われて不幸にしてはいけない」というサービス精神システムが発動したもようであった。

 そんなことはどうでもいいけれど「昨日買っちゃったからなー」はけっこう使える気がする。試食という呪縛にからまったさいはがんがん使用していこうとおもう。