そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

キャッチーを科学した結果

 アップルミュージックは使いにくいのだけれど、いまさら他のストリーミングサービスに登録するのが億劫だな、とおもってしまうのは、じつは平行してアマゾンプライムミュージックもアプリに入れているのに、そちらの操作性も使い難く、ってゆーかアップルミュージックに慣れてしまったのでアマゾンプライムミュージックの使用方法に慣れず、これじゃあ他のストリーミングサービスに入信しても使い難くかんじるだろうな、三十一歳の罪だわ、と思ってしまい、けっきょくアップルミュージックを利用している。

 そうして適当に「オルタナティブ」とか「ロック」のジャンルの新作発表欄をみてジャケでてきとうに音楽を聴いていた。Sir Roseveltというのを見つけた。めちゃくちゃポップでアゲアゲだった。

 絢爛豪華なサウンドに彩られたイーディーエムのようでありながら、メロディのキャッチー性もあり、流行の音楽性が密生したようなかんじですごいアルバムだった。でもあんまり好きではなかった。

 きっとこのアルバムは売れるだろうな、とおもった。良質な音楽だとおもう。世の中には良質な音楽、というものがある。そうおもう。クラシックとかね。でも、ってことは悪質な音楽もある、ということなのだけれど、良質だから好き、ということはなくて悪質だから嫌い、ということもないのが不思議だな、とおもう。

 どうじにTermination Dustというバンド? を聴いたのだけれどこちらのほうが好みだった。ポップネスを目指しているのだろうけれどロックになってしまう、みたいな劣悪な音楽だった。しかし毛唐とくゆうのモーダルなロックンロールで愚直でかっこよかった。なんとなくジョイディヴィをおもった。

 上記はすべて夷狄の楽団だが、邦の楽団でも、忘れらんねぇよ、というのがあって、こちらもなんの音楽的価値もないバンドなのだけれど、とてもかっこいい。あ、おれはこういう音楽やりたかったな、とおもった。

 キャッチーを科学する、という曲をつくったのはアルカラというバンドだけれども、この「キャッチーを科学する」というのは難しいな、とかんじる。キャッチーは科学しすぎると嫌悪感に帰結してしまう。そんな気がする。Sir Roseveltはキャッチー科学の結晶、本髄かもしれない。だけどまだロックが好きな三十一歳としては科学されていない、野生的で、生け捕りにしてきたような、生命が躍動する、荒々しい、劣悪な音楽が好きなのかもしれない。