そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

八月生まれの君にとてもいい知らせがある

 今日は特別な一日になるってさ。って、なんて好い曲なんでしょう。

 この時季になるとペチカがあたまにへばりつく。童謡ではなくモーサムの曲のほうだ。冬の曲なので冬季はたっぷりたのしめるのだが、クリスマスのプレゼントをもとめる人たちで街は色づいているんだってさ、みたいな歌詞があるので、やっぱここがタイムリーだろう。

 レミオロメンというバンドにも三月九日みたいな曲が存在していて、三月九日には滅多矢鱈にこの曲が聴こえる。おもうに、こういう期間がせまい曲というのは、せまいぶんその時季に強力なパワーを発揮するので、こころに召喚されやすいのではないだろうか。むろん「好い曲」という前提もあるのだが。

 昨晩、寝る前に酔いざましのコーヒーをたてようとおもった。さいごの一杯を、と、ペチカでそう歌っているからだ。

 あまり日本語が得意ではないので歌詞についての考察というか、ことばについてどうのこうの意見できる身代ではないのだが、モーサムは歌詞も好いバンドだとおもう。とくにこのペチカの歌詞は、情景描写的なものからキミへ語りかけるような文面も織り交ざっていて、視覚にたよった映像やグラフィックの表現では不可能な場面転換みたいなものがなされている。そんな気がする。この「だってさ」や「らしいよ」という伝聞のかたちもすばらしいとおもう。しかもその内容が人力飛行機がなんやら、とかいう絶妙にどうでもいいようで、その実きっとこの場面のふたりにとっては最大の関心ごとなのだろうなぁというのが察せられて、というかもしかしたら、一方的な趣味の対象なのかもしれないけれども、そういうテーマを論ずること事態がまったくもって平和的であり、その泰然自若とした空気感というか、そういうものがあって、さらにつづく歌詞も好いのは、もうほんと、笛のなるやかんの注ぎ口とか、キミを起こさないように、とか清冽な青白い朝を迎えているような情景が浮かんできてしまって、そんな体験を擬似的に脳内でおこなってしまうような感覚がある。

 そんなもの一葉の写真でひょうげんできるかもしれない。音楽とはまったくもってめんどうくさい表現方法だとおもう。でもそこに、目に見えないものを感じさせる力、みたいなものがあって、そういうふうな音楽が、俺は好きなんだと思う。