そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

雨の一日

 

 日曜。小糠雨。さて、どうしたものか。思案投げ首。かくなるばあいにおいて、三歳児と遊ぶとなると、非常に難儀する。

 昨日。土曜。三歳児が三歳児になった記念として贈呈品をおくった。それで遊びをすること多し。さまざまな玩具を取り揃えているが、真新しいものがやはり好いようだ。

 個人的に。子どもにはギターを教えないつもりでいる。というか、私が騒々しい音楽が好きだからといって、息子にそれを好きにさせようとする気は毛頭ないのだが、どうしてだろうか。家屋内部ではいつも私が好きな音楽を鳴らしている。

 ポールサイモンのグレイスランド、アルバートコリンズのアイスピッキン、ジミヘンのライブ、クラッシュのロンドンコーリング、ブエナビスタソシアルクラブ、夜はずっとビートルズを鳴らしていた。さいきん俺のなかで第五十二次ビートルズブームがきている。

 まず第一の理由として、息子にはテレビを見させないほうがなにかとうまくことが運ぶ、ということが判明したからであり、テレビをつけないならば、なにか音楽を鳴らしていても問題ない、ということなので、アンカーのポータブルのスピーカーで音楽を鳴らしている。

 しかし、おそらく俺の深層心理では息子に「おれと同じ音楽を好きになってほしいなぁ」という気持ちがあるのだとおもう。音楽は心を豊かにする、なんつって腐ったロックミュージックなんか聴いててもだめだとおもうけど。だからすこしシューベルトとか鳴らした。

 俺は親の影響なく、自分の好きなものを見つけたけれど、やはり親がそういうのを好きな人っていうのはスタートラインがちがうわけで、すこしうらやましかった。だから俺はロックのお勉強をたくさんした。勉強というワードはロックという音楽にはもっとも相性の悪い言葉ではあるが。

 俺が俺の息子だったら、これはすごく好い環境だとおもう。しかし、それは息子に嗜好性を無理強いさせているのではないだろうか、ともおもう。むずかしい。

 でも、もし息子がギターをはじめたい! なんて言い出したときに、「これは君の生まれ年のギターだよ。安物だけど、パパがたくさんつかっていたから音はとても好い」なんつってギターを渡してあげたい。生まれ年のギターって好いよね。

 だからギターを買いたいなぁ、なんておもっている。でも金はない。だめだこりゃ。