そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

おれの仕合せは

 

 生きているのはすばらしいなぁ。なんて思うことなく生きている。絶望。かなしー。でも、待てば甘露の日和あり、なんて言うし、きっと質朴に生きていれば「生きているのはすばらしいなぁ」なんて思うことができる夜もあるはずだ。あるはずなんだ。

 でも、だからせめて。この日記の中では仕合せでありたい。この日記のなかでは俺は億万長者。なんせマイクロソフト、アップルに並ぶ第三のソフトウェア開発会社の頭取なのである。昨年はとうとうビルゲイツの総資産を抜いた。

 そういうわけで、使い切れないほどの金があまっている。でもアフリカとかにも学校を建てたし、井戸の普請も伝授した。多額の資本をもってチャリティーコンサートも開いた。ポール・マッカートニーとも友達で友情出演してもらった。ポールけっこういいやつなんすよ。

 ここまでの会社にするには運もあった。でも眠らずに働いた。馬車馬のごときに働いた。土日祝祭日も関係なく、盆も正月もプレミアムフライデーもなかった。そんな俺に、さいきん家族がつめたい。

 もちろん家族のために働いた。家族に楽をさせてあげるために。妻には使用人を何人も付け、家のことなどなにもしなくてよい状況にした。高校生になる長女にも、なに不自由をさせていないし、一流の学校に通わせている。もちろん次女もそうだ。でも、それだけじゃ駄目だったんだ。小学生の長男は、俺のことを、知らないおじさんだと思っているらしい。

 俺が築き上げた仕合せの仙境には、俺の居場所なんてなかった。広々としたプールはしずかに風に波を立てているだけだ。

 俺が求めていた仕合せはこんなんじゃなかった。どこで歯車が狂ってしまったのだろう。どこに転機があったのだろう。思い当たる節がない。俺はおかしいのか? 狂人なのだろうか? だれも俺に生きていてほしいと思っていないんじゃないか? 会社の経営ももちろん一筋縄では行かない。これだけの規模だ。派閥ももちろん生まれている。ってか昨日スナイパーにめっちゃ狙撃されたし。

 いまからやり直せないだろうか。そんなことを妻に言った。「もう、無理よ」 長いブロンドの髪をなびかせ、俺の知らない香水のにおいを残し、妻は消えた。どこか妖艶な雰囲気を放っていた。男でも出来たんだ。

 俺は妻を尾行した。そいつだ。そいつさえ消えれば、俺の妻は、俺の仕合せは戻ってくる。そう思った。使用人に「前の車を追え」と命じた。「それは奥様から禁じられています」 この家に俺の味方はいなかった。もういい! そういい残し、俺は自前のフェラーリに乗り込んだ。

 とあるレストランについた。その軒先。妻はやはり、男と密通していた。ゆるせなかった。俺の仕合せを返せ。と思い、彼らの後を追うためレストランに入ろうとした。ドレスコードにひっかかった。なぜだ。俺は作務衣に帯刀しているが、清潔感はある。しかし草鞋がまずかったのか。車のなかにも予備の正装はない。こまった。でもこんなときにいつも助けてくれるおまじないがある。俺は唱えた。「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、きちんとした身なりの人にな~れ」 そうなった。

 レストランに入ると驚いた。そこはただのレストランではなかった。全員がグレイだった。グレイというと、宇宙人を想起するかもしれない。ちがう。テル、タクロー、ジロー、ヒサシからなる四人組ロックバンド、グレイだった。野鳥の会会長の俺は須臾の間に空間を把握した。

 総勢二百人いた。それがそれぞれにテル、タクロー、ジロー、ヒサシ。ときおりトシだった。トシを見つけるたびに赤丸をつけたくなった。わかり難いため補足すると「ウォーリーかよ!」というツッコミが欲しいです。

 こんな世界は不条理だ。俺は妻をさがした。妻とあの男を。いた。すこし小上がりになっている円上の台があり、周りにはとってもサイバーなメカが櫛比していた。青白い光が目をくらませた。様子をうかがった。どうやらその円台に乗ると、青白い光が白々とルクスを上げていき、かくなる眩耀に包まれると人は、事前に申告したグレイのメンバーになれるようだった。

 男が先に円台にのった。「しんぱいいらないよ」と言っているふうだった。クソが。と思った。男は光に消えた。光が収まり、円台の上には両手を広げ、顎を上げ、マイクスタンドの前で天空を仰ぐ男がいた。男はテルになった。

 妻がなにになるか見ものだった。そうして妻は台に乗り、光の中に融けた。そうして出てきた。妻はヒサシになった。よりによってヒサシかよ! と思った。それはヒサシが悪い、というわけでなく、妻は遺伝子的に金属アレルギーをもっていた。お前の身体じゃ金属製のタルボは弾けないんだよ! と俺は遠くでおもった。そうしてテルとヒサシはたくさんのグレイのなかに消えていった。

 俺は気がつけば、円台の列にならんでいた。四択だった。いやまぁ事実五択なんだけど。でも俺は、このグレイパーティーを破壊してやろう、という胎があった。だから、申告用紙に住所と名前、生年月日、つながりやすい連絡先、血液型、好きな女優は深田恭子と書き、なりたいメンバーの欄には「ヒムロ」と書いた。

 受付にそれを渡すと、その人はめんを食らったような顔で「まさか…!」と、声にならない声で震えていた。それでも俺は強行突破し、青白い光のなかに身体をあずけた。全身に焼けるような痛みが奔り、蛇蝎のように浮き出た血管からは血が迸った。メカがけたたましい警告音をあげていた。一定の律動で鳴っている警告音も、しだいにそのリズムを早めていった。刹那。会場は大きな光に呑まれた。

 余燼をあげたその廃墟は、いまでも「グラウンドゼログレイ」として故人を偲ぶ場所となっている。俺は、というと、こんな日記を書いているから生きているのだが、あのあと瓦礫のしたから這い蹲り、生還した。そうしてなんとか今日を生きている。俺はすべてを失った。だが、俺にはいまやるべきことが残されている。俺の仕合せは、俺のほんとうの仕合せは、ただでっかい声で歌うことだ!

 キースミー そのくちーびーるー そのーむねー 逃がさなーい