そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

むかしコンビニで夜勤のバイトをしていた

 

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

コンビニで夜勤のアルバイトをしていたことがある。JRの駅近くで往来も多く、繁盛していた店だった。勤務時間は22時~翌朝7時まで。休憩時間は1時間。そんな生活を繰り返していた。

 

その日はコンビニ勤務歴が長いベテランの水沢さんと一緒だった。こういうベテランと一緒だと仕事は楽だった。お互い言わずとも、なにをするべきかわかっている。あと水沢さんはギャグのセンスはなかったけれど、話していてラクなひとだった。

 

時季は忘れたが、とにかく寒い日だった。おでんがよく売れた。22時から0時まではお客様がまだまだ多く来店する。そのあと1時くらいから水を打ったような静けさが店内に満ちる。来店するのはいつもの常連客ばかりになる。

 

レジで発注機をいぢくっていた。ひまだった。まだコーヒーなどを売っていない時代だったので、とにかくおでんの匂いがむせ返るように揮発していた。だからその異臭には気がつかなかった。

 

ドリンクの補填をしていた水沢さんがバックヤードから帰ってきた。「なんか、におわない?」と言った。「えっ?わかんないっす」と答えた。「あいつの臭いにおいがする…」といった。

 

深夜のコンビニには胡乱な不審者が多く出現する。そのなかには、もう何年も風呂に入っていないようなホームレスもいた。いつも垢の詰まった真っ黒な爪の先でコッペパンだけ買っていく。とにかく臭いがきつくて、カネはいらなから勝手に持っていってくれ!と思っていた。

 

しかし奴は来店するたびに臭いでわかる。その日はそんな気配はしなかった。どこを探してもいつものホームレスはいなかった。それにいつも来る時間でもなかった。でも、なんかそういう人間の獣くささがするようだった。

 

「知ってます?」と俺は該博の知識を縷縷として開陳した。

「心霊的な現象がおきるときって、まず臭いがするらしいですよ。肥溜めのような、雨の日の野良犬のような、腐ったような獣の臭いです。で、そういう臭いがする場所って出やすいらしいですよ。幽霊。だから荒廃した廃屋とか心霊現象起きやすいんですって。荒廃っていうとカラっとしている索漠なイメージかもしれませんが、本当に荒廃しているものって生々しい臭いがしますからね。腐ってるんですよ、すべてが。だから腐った臭いのする場所は出やすい。つまり、こういう臭いがするときって…」そんなことを言ったと思う。我ながらエンターテインメントの鬼だと思う。

しかし水沢さんは笑っていた。「あそう」だって。冷たい嘲笑がまじった笑いだった。

 

しばらくしてもその獣の臭いはやまなかった。俺はバックヤードで適当に時間をつぶしていた。そのとき、呼び出しボタンが押されレスキュー。バックヤードに緊急出動の要請がきた。

 

水沢さんが開口一番に「天井からなんか漏れてる」と言った。それは直径10センチほどの赤茶色のシミだった。つまんだ突起物のような水滴が天井にへばりついていた。時折重力に負けて滴った。それはおでんのプールに着水した。「これが臭いんじゃない?」と言って水沢さんは水滴の落ちるポイントを予測して手を伸ばした。勇気あるな、毒だったらどうするんだ、と俺は思った。

 

水沢さんの予想通りだった。中指の先を濡らしたそれを鼻先に持っていった水沢さんは嬉々として言った。「ほら!やっぱり!くっせっ!嗅いでみる?」と人はなぜ臭いものを嗅ぐとテンションがあがるのか。さっそくのお誘いを無下に断る理由もなかったので嗅いだ。たしかに臭かった。水の腐ったような鼻腔の奥にへばりつく、強烈な悪臭だった。

 

水沢さんと俺の予想は以下だった。

このコンビニの上はマンションになっている。だからきっと下水の配管から汚水が漏れているんだろう。そんな推量に着地した。ゆえに汚水にタッチした水沢さんは怪訝な顔をした。

 

オーナーに連絡をすべきか迷った。時刻は4時。冬場なのでまだ払暁には遠い時刻だ。でもあと3時間後にはオーナーが出勤してくる。であれば、とりあえずの応急処置だけして、朝とオーナーが来るのを待ったほうが良い、とお互いに合点した。

 

俺のほうが身長が高いので、レジの上にパイプ椅子を載せてそれに乗り、バケツをあてた。ガムテープで固定しようという算段だった。失敗した。バケツが重すぎたのだ。だからもっと軽いものを用意した。幸いにも滂沱たる漏水ではなかったので、これくらいで事足りるだろう、とおもい、サラダパスタの容器をひとつ用意してそれを天井に貼り付けた。縁取るようにテープを貼り、さらにそれを十字で固定した。シミはパスタの容器からはみ出ていたが、よしとした。

 

そのあと、おでんをすべて廃棄して、おでんの容器を洗った。もしもこれが本当に汚水だったらイヤだな、と思っていた。そしたら水沢さんがやってくれた。水沢さんはこういう嫌な仕事を自分からしてくれるので助かった。

 

ふと気になったのは、いつから漏れていたのだろう、ということだった。臭いの指摘をされたのはたぶん午前2時くらい。それからはおでんを売っていなかったが、0時くらいには酔漢たちがここぞとばかりにおでんを購入していった。

 

まぁちょっとくらいの汚水なら大丈夫だろう、と俺は他人ごとだった。

 

朝の7時は回転がすごい。目まぐるしくお客様が来店する。だから7時の交代はタイミングをみてレジを交代する。だから俺はこの一件を報告し忘れていた。ふだん天井なんて目にはいらないし、仕方ないかなと思った。

 

そして帰り際、水沢さんと「報告し忘れましたね」なんて着替えながら言っていた。水沢さんは責任感のある人なので、「じゃあ俺すこし残って落ち着いてから報告しに行くよ」と言ってくれた。俺はラッキーと思い、おつかれさまですとレジに会釈して帰路についた。

 

その瘴気の話題が、その意味が、まったく別のものになったのは2日後のバイトの日だった。

 

あのあとオーナーはマンションの管理会社に連絡したそうだ。いわゆる配管工事がはいったらしい。しかしそれは汚水には間違いなかったのだが、意味が違った。

 

配管を調べると、やはり何かがつまっていたらしい。その何かとは人の脂肪分だったそうだ。そこには髪の毛やら砕かれた人骨やら肉片が絡まっていた、という話だった。とくにその日は寒い日だったので、脂肪分が溶解せずに固まってしまい、ふだんなら流れる異物も相まってつまってしまったそうだ。

 

これにより判明したことは、そのマンションでなにかしらのことが発生し、排水溝に人体を流した人がいる、ということだった。それを聞いた水沢さんはしばらくずっと気をもんでいた。俺もあのシミが、人体から抽出されたものだ、ということがわかり気色の悪さを覚えたが、それよりもこの上階でなにか、そういう殺しなどが行われたと想像すると、全身の血が冷たくなるような感覚に襲われた。