そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

自由律俳句 「チンコ描いて包茎」

 

Hokokuji Bamboo Temple - Kamakura, Japan 2005

 

「咳をしてもひとり」

夜中にふと目覚めて居間に行き、そこでコホンと咳をした。

そこで思い出したのがこの言葉。

尾崎放哉という方の俳句だそうだ。すごいらしい。

しかし、だいぶ私のしっている俳句の概念と相違があるなぁ。

どういうことか?と、グーグルイッパツ検索をこころみた。

 

こういうのを自由律俳句というらしい。

五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる 

引用:自由律俳句 - Wikipedia

 

もうなんでもありやん!というツッコミ待ちのウィキペディア

たまにこういうのがあるからネットというのは面白い。

 

しかし、この3語づつのリズム。また内容から醸し出される侘しさ、寂しさの世界。

たしかに、なんとなくすごいなぁ。と思う。

けど、私にも出来そう。ちょっと作ってみよう。となぜだか急にチャレンジ精神が湧き出た三十路のおっさん。ちなみにこのブログは音楽ブログ。なんだろう、最近とんでもないところに迷い込んでいる。

 

思い立った表題の句「チンコ描いて包茎

著者、著作を語る。ずいぶん恥ずかしいが、この作品のすごいところを解説したい。

 

まず、これは実体験に基づいている。

著者は中学生のころ、例に洩れず性に興味があった。

直接的に陰部を連呼する時期は過ぎ去っていたが、隠喩的にそれを表現し、みんなでケラケラと笑っていた。男子なら思い当たる節はあるとおもう。

ある時、その陰部をみんなで紙面上に象徴描写するタイミングがあった。

おもいおもいの自己の陰茎を描写する。

私が描いたのは以下のようなものであった。

 

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クレヨンしんちゃんの世界です。

私はかわいいゾウさんを描きました。当時13歳の少年はまだ真の姿を現していなかったのです。

しかし、みんなが描いたのは以下のようなものだったのです。

 

 

 

 

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美しくもかっこよいロケット型でした。

つまりこれはどういうことか、というと友人たちは、それが本人のモノであるか事実の正否はわかりませんが、そのタートルヘッドが露になった姿を描写していたのです。 

私は私のしっている陰茎と、みんながしっている陰茎についての知識の差に愕然としました。まさに尾崎放哉の句が俳句というカテゴリーであったかのように、私の知っているものと世間の意見が違うという衝撃。

のちのちに、私は包茎のおちんちん。みんなはズルむけのおちんちんを描いた、ということに気が付きましたが、当時の少年の気持ちを考えるとなんだか侘しさが湧いてきます。

つまるところ、この句には、

知らず知らずにまわりのみんなが大人になる侘しさ。

それに気付かずに少年のままでいようとする寂しさ。

が現れているのです。

 

 

俳句は、侘びさびの世界だと感じています。それが如実に現れているいい句です。

いつの間にか丁寧語になってしまいましたが、それも赤裸々な事実をおおっぴらにして大人になるという変化。

 

という下ネタ、作画ネタにとうとう手を出してしまった。

しかし、自作のゾウさん、なかなかの出来だ。ニヤついてしまう。

 

「ニヤついてもひとり」

深夜のテンションですね。ちなみにいまはちゃんとムケてます。