そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

改名したい

 ゆあさよとか僭称しているけれども、ふつうに望月だし。なんだよ。ゆあさよって。さぞかし奥ゆかしい意義があるのだろうけど、それよりも字面をふくめてとても厭んなるんね。きっとキラキラネームの子どもってこんなきもち。おれは自分でつけたんだけど。

 ということで、改名しようとおもう。ははは。なんにしようか。でもふつうに苗字だとインパクトに欠ける。もっちーとかにする? いや、おれももう三十一の男ですよ。それを自分で「もっちーです!」とか称するのはどうなんですか? お天道さまのした、胸張って歩けますか? え? どうなんですかそれって?

 ということで、候補を二案用意した。

 まずひとつ。「餅好き」というのはどうだろうか。おのれ自身を翻ってみる。うーん。そんな餅好きじゃねぇし。さらにいえば、餅というのは一種の死因である。もし仮に、なんの因果か検索によって、祖父を餅に殺されたひとがおれのブログを読んだのならばどうおもうだろうか。多少なりとも「おもしろいなぁ」とか「ためになるなぁ」なんて思っていたのが一転、ってゆうかコペ転。餅好き… あたしのおじいちゃんを殺したあの忌々しい餅が好きだなんて。みあげた根性だね。つうか餅に家族を殺された人がこのブログを読むということを配慮しなかったのか。浅はかすぎる。愚民め。ちょっと呪っとこ。みたいなかんじになるかもしれない。あちゃー。却下です。

 二案目。これはまったく本名と関係ない。「キャンユー照美?」というのはどうだろうか。

 これはいい。先日なんとなく聞いていた北欧のバンドの歌詞に「キャンユーテルミー」みたいなことを弁述している歌があったので、それで思いついた。名前なのにエクスクラメーションマークがあるというのがいちばんのセールスポイントですね。

 よっしゃ! これでいこう! なんて思ったのだけれど、ちょっと待ってくれ。このネーミング、おもしろすぎやしないか? なにを言う。おもしろいネーミングならそれにこしたことは無いじゃないか、という人がいるかもしれない。ばかめ。それこそ浅はかだ。名前がおもしろすぎる、ということは、その名前で「あ、この人おもしろいな」と思われたばあい、そのブログの内容を読んで「おもったよりもおもしろくないな」、「けっこう真面目なひとなんだな」となってしまったらどう責任をとってくれるのですか? え? つまり、おれが言いたいのは名前に内容が負けてしまう、ということであって、それならばやっぱり名前は名前できちんとしたものを準備したほうがよいとおもうんですよね。ほんともうみんな名前どうやってきめてるの。おれはドラクエの主人公の名前決めがいちばんの難関。あの黒バックの白字のヤツ、キラーマジンガよりぜんぜん強い。

 

入園式

 如是我聞「入園式に行きました!」世界のあちこちで入園式が勃発している。そういう時期ですね。新しい生活のはじまり。ニュースタート。ニューライフ。ニュージーランド。うん。いいね。おれも行ったよ。ニュージーランド。ちゃうちゃう。入園式。トゥデイ。

 小春日和。春風が颯爽。ふふふ。いいですね。小春日和には「ははは」よりも「ふふふ」がちょうどよい。「入園式」と漢文字と墨で書道された看板の前、写真機をつかって写真をとった。前後の家族で条約をむすび、「あなたの家庭を撮るので、うちの家庭を撮ってくれ」。平和的外交。相互利益。

 菫組。並列するのはたんぽぽ組とチューリップ組。いやそのならびおかしない? つっておれたちの菫組。保育園のカイちゃんと一緒。カイちゃんちのパパとママはおしゃれ。乗ってる車はジープ。

 世の中には、しゃべる内容の九割がだいじにかんじられない人、というのが一定数いて、まぁおれもしゃべるの苦手なんだけどさ、そういうひとだった。担任の先生。日本語なのに難解。デヴィッドリンチか。

 おおきなおへんじ。なんども振り向く。こちらを見つけて手を振る。ちいさなモーション。群集のなかにいてもちいさな声が聞こえる。パパ、ママ。なんつって。落ち着きはない。けれどもそれでいいとおもう。それにしても顔面がいちばんかわいい。

 写真家がアジる。こーっち!! こっち!! おひざピターーッ!!! いくよーッ!!!!!!!! ってもう感嘆符が足りない。名伏し難いコミカルな扇動家。すばらしい。プロ。四頭身のおじさん。っておれもおじさんやん。おもしろかったね! 写真を撮られることがおもしろい。そんな人。すごかった。ちょっと尊敬。

 帰りにマクドナルドというハンバーガー屋に行き、ハッピーセット、土日はこれも、をテイクオフした。テイクオフってwww ぶーん。飛んでっちゃうよね。飛行機は夢だよ。なんてつって離陸。光彩陸離。いみちゃうやん。ってゆうかどこ行くねん。もちろんニュージーランド。まさかの冒頭の回収。でも飛行機はひつようナッシングスカーブドインストーン。だってどこでもドアーを手に入れたから。トゥデイイズザグレイテストデイ。

過ぎ去りしおれの日曜

 投擲された球状のものを、木の棒をもってして遠くまで飛ばし、それをわざわざ走行してとりに行く。いや爆笑。文明的な生活が充溢した現代にとって、かくなる野蛮な行為がひつようなのか? とおもうけれども、そんな技術を修練し、鍛え上げ、人類を競争せしめる行為に、一部ファナティックな享楽をかんじるひとびとがいる、ということで、野球、と命名されたそれは国民的スポーツと相成り、なんだよ国民的スポーツって、ちゅうかんじで、でもつまりそんな国民的スポーツに興味の湧かない私なんかは、もしかして非国民なんじゃないのか!? なんてことをおもったりおもわなかったり、っておもわんのかい! みたいなロンリーコミュニケーションをしたりしながら、でも私にとって非国民、それはアングロサクソン系だったりするんだけど、はははそりゃいいや、だっておれは外国の音楽とか好きだし、仏教的観念で転生したらイギリス人になりたいな、でもそんな必要なかったな、なんておもって水鏡にうつった自分の顔をまじまじと観察してみると、なんと! まごうことなき黄色人種であって、所詮はモンゴロイド、パパセイママセイ、ディララティーラ、なんてぐあいの深遠な絶望の洞穴を胸にあけ、今日もがんばって生きていこう、とおもったんですよ。イエローモンキー。悲しきエイジアンボーイ。

 そんな野球、いや。厳密にいえば、ソフトボールって競技名らしんだけど、おれくらいの年齢だったらソフトボール、そんなバンドいたっけね。なんておもうでしょ。まぁだからソフトボール、それを観戦しに参った。妻の会社の行事。地獄の苦しみ。

 そもそもソフトボール。なんじゃその競技名は。なめとんのか。そんな名前が押し通るのであれば、すべての競技名はすべて「ボール」である。そりゃあボールをしようするのだから全部ボールといってもいいんだよ。おっとそういうこと言います? 鍋でつくったものはぜんぶ鍋とかいいます? カレーもシチューも煮っ転がしもぜんぶ鍋ですか? どうなんですか? なんておもいながら悶々とおれは洞満グリーンパークというところを右往左往しながらとても疲弊し、さらには帰り道、とんでもない細い道を車で通らねばならず、これってぜったい一方通行だろ! みたいな市道を対向車をかわしながら、いや、時にその道に慣れしたしんだ地元住民に「なんでこんなとこ通ってんだ、よそものが」みたいな白眼を向けられながら、すんません、すんません、なんつって平身低頭しつつも心の底では「いまにみておれ弩田舎もんが、おまえらなんか都内に出たらイチコロだかんな」みたいなことをおもいつつ、漸く家につき、ってゆうか帰り道にコンタクト屋によったりしながらがんばって生きた日曜だった。まごうことなき地獄。

バートルビー的ななにか

 正味なとこ、右眼がぜんっぜん見えないんですよ。いま。おれ。

 たぶん右目も円錐角膜になったんですな。忘れはしないぜ…この痛み…つって痛くはないんですけどね。

 左目がずっと円錐角膜で、眼鏡をかけてすごしているときは左目だけ瞑目していたんすね。だけど、いまや右目のほうが視力が下がったようで左目のほうが見える。

 ということはですよ? 必然的にアイウェアーを装備してるときも左目をつかい、今現在コンタクトを密着させている常態でも左目をつかっている。となると烈しく疲弊するんですよね。これが。

 人間には利き手とおなじように利き目ってのもあるわけで、おれはそれが右目なのだけれど、やっぱ利き目じゃないほうをつかうのって憔悴しますね。

 あと、なんかバランス感覚がおかしい。日記書くときキーボード打つでしょ? なんか間違えることがおおくて、すごい憂悶とするんですね。マジやばいわ。

 土曜日にコンタクト屋に行きます。でも特注になることがおおいので、できあがるのは一週間後とかなんすよね。まだこれですごさないといけないのかよー。

 あと高額。コンタクト高いんだよ。おれが身につけているもので二番目に高い。もちろん一番は結婚指輪。ティファニー。こまったら質にいれてギター買うわ。

 もうやだ。目が見えないってすごくストレスですね。もういっそ、このまま視力に頼らない生活でもしようかしら。だってどうせ見えないんだし、なにより社会の厭なものをみなくてすむから…

 とおもっていたら烈しい痛痒が頭部に襲来し、(…力がほしいか…)みたいな、言葉にならない、けれども意味のわかるなぞのメッセージがテレパシーみたいなかんじで頭のなかに響く。ほ、ほしい…。すべてを見抜く慧眼がほしい…。求めよ。さらば与えられん。の「ん」は意志推量の「む」が撥音便化したものですかね? なんつって、うわー! じゃなくて、ぬわーーーー! にするとパパス感が出るんですけど、おれももう主人公というよりはパパス的立場だし、ぬわーーーーって言っちゃおうかな、どうしようかな、なんて考えている寸陰もなく、あ、あたまが、あたまがいたいよぅ。たすけて、おにいちゃん! あ、あ、あ、あ、あーーーー。みたいなこともありましたね。そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ、って中島みゆきという現人神がうたっておりました。じゃあそれいつなの? ナウイズザタイム。ってチャーリーパーカーという小鳥が言ってました。いまじゃあおれの額には立派な第三の眼がひらいていて、ふだんはでっかい絆創膏を×字にはっているんですけど、でもこの第三の眼って目頭と目じりってどうなるんですかね? みたいな疑問もあるんですよ。漫画の描写だと両端ともに目じりという場合がおおいですよね。じゃあおれは? ってゆうと、いやん。ひみつ。だって、これが再び開いたときには、ふつふつふつ…って笑い声なんですけど、どうもフツ族が思い出されてしまいますね。逃げろーツチ族! つってたいへんなことがおこりますよ。邪眼の力をなめるなよ。おれは三十一歳にもなってなにを言っているんですかね。

おれの生き辛さ

 禍福は糾える縄の如し。ってゆうのはほんまですやん! なんておもう。

 おれは時に人生が順調すぎると恐怖をかんじる。福がつづきすぎる結果、とんでもない凶、いみじき禍事がおれを待ちうけているんじゃなかろうか。そんな不安で胸が支配される。

 その夜もそうだった。穏やかな夜気につつまれた、すごしやすい、静かな夜だった。子どもは早く寝るし、購入したグリーンオリーブはうまかったし、録画しておいたアメトークはおもしろかった。なにより浮かんだ月のうつくしい、しあわせな夜だった。

 だが、しあわせはつづかない。おれに静かな日々はにあわない。男の定めさ。オリーブをいれていた小皿を片そうとおもい、シンクに小皿をおき、蛇口のレバーを上げた瞬間、それはおこった。蛇口から流れたひとすじの清流は、四方八方にとびちったのだった。

 なぜか。匙である。匙の匙たるぶぶん。そのくぼみが虚空をのせていた。それは水流が着地するマジジャストの位置であって、勢いづいた水流はひらたいくぼみの中に落ちた。するとどうなるか。水は無形ゆえに、くぼみ状にあわせ、鮮やかでうつくしい、とうめいのアーチをえがき、四方八方に飛散するのであった。

 おれのパジャマ、その腹部はぬれぬれに濡れ、ぐっしょりとしぼれるほどに重くなった。いつもこうだ。おれのしあわせは続かない。なぜいつも匙はその場所に、その匙のスプーンポイントを上向きにし、蛇口の真下にいるのか。そしてなぜおれはいつもこんな失敗ばかりするのか。ほんといやんなる。

夜のお菓子をやめようとする狂った日記

 のまにゃんのまにゃん。ちょちゅねー。ちゅぽぽぽぽ。コンドラクティブコンドラクティブプロアクティブ。プロのアクティブ専門家。なんてブログに書いていたらぜったいに狂人白痴のたぐいだと認識されてしまうのでやめようとおもう。

 でもまって。己自身を翻ってみる。おや? はたしておれはいま現在、狂人白痴のたぐい、またはその他下級生命体だと認識されていない、きっと大丈夫、とでもおもえるような日記を書いているのだろうか。書いていない。いやん。そんな。ばかなん。

 酒を飲んでらっしゃらないので、これは多大なる心理的負荷、つまりはストレスとネーミングされたそれが滞積していらっしゃる。なんで尊敬語なのか。

 この広い天球のもとおれたちみな兄弟だ。しかし相容れぬ狂人というのは一定数いらっしゃる。なんというか狭隘、偏屈、不遜、傲慢、貪婪、因循、姑息、欺瞞、虚傲、狂悖、暴戻、驕慢、野鄙、懶惰、頑迷、固陋、傲岸、みたいなやつ。こまっちゃうよねー。そういう咎人とはいっていの距離感をとっていたいがために、心のメートルをはばひろくとれる尊敬語をつかいたいとおもうのです。

 つまり。ストレスマックスのおれはある種の狂人白痴のたぐいであって、おれはそんなおれ自身を卑下しちょるわけであって、ゆえに尊敬語なんかを自身につかっちゃうわけであって、こりゃいかんぜよ。他人は変えられぬが己は変えられるのではないか。進化だよ進化。もっとがんばれ。克己心おれ。なんつって、がんばることにした。夜のお菓子をやめようとおもう。

 人間の生きる力に反することであるが、世の中には摂取したエネルギーを虚に帰するダイエットという因果な所業がございまして、なんとあさましいことでしょうか。この地球の生命エネルギーを摂取しながら、それを己の虚栄心にかこつけて反故にするなんて言語道断このうえない! 世の中バカなのよ! つって、じゃあやっぱ菓子をむさぼり食っておれデブんなるわ! やった生きる目的ができましたん! デブんなってお相撲さんになって蹲踞して塵手水を舞って、あいつらマジデブだからワンパンよゆうっしょ? つっておれは死ぬ。なんだよもう。ごっつあんでしゅ。

おれんなかの魂にぃ

トマト公園。ははっ。意味深な名詞で文頭をかざってしまった。こういうのっていいでしょ? いいかんじでしょ? なんかそれっぽいこと言ってるかんじするでしょ? 小手先の文章術。それは体言止め。

息子と庭先で遊んでいると、同年代の女児がやってきた。よんどころない事情によって共同遊戯にいたり、トマト公園に行った。すべり台のうえに巨大なトマトが栽培されている。

その娘はイヤイヤ期の最盛期だったようで、なんでもかんでもイヤイヤだった。彼女の母親は終始憤然としていた。まーそうゆー時期もあるよねーってな具合だった。息子はそんな彼女のイヤイヤに触れ、周章狼狽していた。昼はコンビニ。晩は幸楽苑。記憶がないのでたぶん午睡した。ラー油を崇めた。

これぞ日曜日! みたいな晴れ方をしやがるので行楽に参った。ラーを崇めた。場所は上野。国立科学博物館。息子が恐竜がみたいんよ、なんつーもんでね。骨、骨、骨。たのしかった。午後は作成。ワトコオイルが余っているし、ディアウォールを設置したので棚を作っている。それをやった。料理も。

ウィルコを聴いた。ファーストとセカンド。くそいい。おれはいまウィルコみたいなバンドがやりてぇ。とくにファーストのカントリーチックな、でも風速はオルタナロックのそれで、ざらつく表面にはなんだか切迫する限界ギリギリの粒子がこびりついているような音楽。アコギがほしい。人相的にマーチンよりギブソンヅラしてる。

中断していたメンタリストを見ている。妻と一緒にたのしいな。さいきん呂律がまわらない。というか調子が悪い。かくじつに酒を飲んじゃあいないのが要因であって、ぼくはもう駄目かもしれません。ねっとりとした重たい闇のなかで修行中。

ちょっとテーマをいい感じのやつにチャンゲした。チャンゲ。誤字ちゃうで。このテーマは段落の冒頭を一マス、これ勝手にあけてくれるのね。だから空白がおおかったのね。よくテーマを変更するのはおれが飽き性だからです。

どうするスタンスミス。自発的錯誤。おれはもう、他人に優しくする、なんていう己を善人にみせかけようとする愚昧なことはしないようにします。すべてはこの惑星のために。衒示的パラノイア。ジークジオン。さらば青春。きみは遠い遠い思い出ぇのなか。って歌うハスキングビー。