そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

モノでもんで

 

 

因果なもので。ことばは変化していく。さいきん気になるのは 「~なもんで」ということばである。

この日記の冒頭にも記載しているが、原因を指し示すことば。「~なもので」の撥音便化。そんで「~なもんで」これが猛威をふるっている。「そんで」も撥音便化ですね。

文体の口語化でしょうか。ブログはカチカチの文語体より口語体のほうが読みやすいですからね。ってこの最後の「ね」も同調を促す口語体。ありゃまぁ。

 

そいで、この「~なもんで」がたいへんなスピードで感染しているもので、逆に私はさいきんこの「~なもんで」を使いたくなくなってしまった。みんなとおんなじに書くことに抵抗が発生している。

そげな感覚に陥ってくると次は「~である」っていうのも使いにくい。断定の「である」。

 

私もようやく文体が安定してきた、というか読みにくい書き方をしているとおもうが、でもオリジナリティにはかえらんねぇやってことで、こんな感じで書いてます。が、この「~である」が使えないとなると、ちと障害。ハードル。

 

でもでも思うことは、やはり時代の潮流に身をまかせ、みんなと同じようにやらねぇと異分子あつかいをされ村八分。これは避けたい。みんなと仲良くしたい。ちやほやされたい。相互ブクマしたい。新着エントリーが失脚してしまったのでブクマであがらないと私の日記はみつけてもらえない。さみしい。

 

そんなこんななもんで、けっきょくこうやって渦中のことばを使用していくのである。

 

 

はるかぜ、とろり。

 

 

本日は、って昨日になってしまった今日の話しなんだけれども、とても暖かな一日。土曜出勤の妻を待ちわびる留守邸宅には、私と息子の血胤関係しか繋がりのないふたり。

 

とここまで書いて寝落ちしたんだろう。下書きにのこっていた。

 

タイトルからしてたぶん推測で憶測なんだけど、春風はふわっとしているんじゃなくて、なんだかとろり、としているのではないか?と言いたかったんではないか?といま考えているんではないか?なんて「ではないか?」を連結していきたいんではないか?ってこれでしめの結びにしようとしているんではないか?ってもう飽きたんではないか?って飽きました。

 

土曜日よりも日曜日のほうがくもってたけどあたたかかったですね。ってこりゃえらい普通の日記ではないか?

 

 

本を読んでもバカはバカ

 

 

わけのわからんカタカナが多い。なんだよプロトコル。右クリック検索。なるほど儀式。ふふーん。あ、ミッションインポッシブルであったな。って記憶の起床。でもあれは英語文化のものだからカタカナでいいけど、なんでわざわざプロトコルなんてつかうねん。

 

むつかしい言葉をつかうヤツがいる。そういうヤツってバカのコンプレックスがあるんだと思う。本をたくさん読めば頭がよくなると思っているのだろうか。だから私はそういうやつに言ってやりたい。本を読んでもバカはバカ。

 

おそらく本をよんで借りてきた言葉。ふだんは使わないであろう言葉を、自分を装飾するためにつかっている。たぶんそういう言葉って二、三年後にはつかってない。消化されてない。ガムみたいにくちゃくちゃ噛んでおわり。味気ない。味気ないし、場当たり的。

まぁ知性のかけらもない浅瀬にしかないような文章のヤツもいるが、あれはあれでバカを露呈するだけなので恥ずかしいね。気をつける。

 

そういう人のブログってだいたい見にくい。ブログは読む媒体でもあるけど、視覚的な要素も大事だな、ってさいきんおもっている。難易度の高いことばを辞書を片手に並べている。まぁおれのブログも大体見にくいが。どんなにむずかしい言葉をならべても見難いと、コイツばかだな、ってわかっちまう。たぶんおれも思われている。まぁべつにいいが。

 

こうやって批判的なかんじで書いていくと筆がまったくすすまない。まぁ誰にみられるわけでもないのでいっか。

 

おれもブログをやってきて、あ、この人は頭がいいな。とか、ちゃんと自分で考えているな。って思うブログがあることを知っている。その人のブログは見やすいし、わかりやすい。消化されていることばを使ったり、自己をとおったことばを使われると、自己の考えなんだな、って説得力がある。隠しきれない知性がみえる。見習いたい。まじ。

 

むつかしい本をよんでいる人はむつかしい本に影響されちゃっているのかな。いや、桃太郎を読んであんな感じでかけるなら本当の自分のことばなんだろうけど、たぶんああいうバカは自分のことばをもっていないので簡易なフレーズになるだろうな。

 

文章はリズムだな、って思う。そういうのが出来ている人をみかける。すごいなぁと思う。誰かのファンになることは、そこに限界点を作ってしまうことなのであまりしたくないが、このはてなブログで文章を書いている人で好きな人はそこそこいる。

 

そういうひとにかぎって意外と読者がすくない。だから逆に独り占めしているようでうれしいときもある。まぁ読者がいっぱいいる人もいるけど。まぁそういう人は文体に芯がある。きもちいい。

 

 

そんな人のブログをよんでもおれはバカみたいな文章を書いている。やはりバカはバカ。

 

じゃばらの怨念

 

 

きのうは飲んでしまった。ひとりで。さいきんはあまり飲んでいない。べつに自分を律しているわけでもない。なんとなく、私は酒に逃げるクセがあるので、それに変化をもたらせたかっただけだ。

 

さいきん飲まずにいられる理由としてはブログなどに思ったことを綴れているからだと思う。ストレス発散というとそれもあるのかもだが、基本的にタスクとしてこなしている部分、ノルマとして設定している部分もあるのでは、と思っている。

 

私はなんらかの依存症だと思っている。依存症癖がある。たとえば妻であったり、音楽であったり。それが常に携帯している端末、スマホでできているブログ依存症。そんな感じになってしまっている。ブログ依存というか、日記依存というか。

 

ただブログもたまにストレスに感じるときもある。あー今日は更新できなかったなぁなんて思うとストレス。書かなきゃ、って思いもあるけれど、書きたいけど書くじかんがないし、これは書いていいのか?という思いなど諸々あって。ストレス。いや、これはカンペキ依存してるわ。

 

竹原ピストルの歌に「ライブイン和歌山」みたいな曲があって、そこでは「どうせ人間だれしもなんらか漬けで生きているんだ」って歌詞がある。精神疾患をわずらい、クスリ漬けである特定のファンに向けてかかれたそうだ。とてもいい曲。

 

それに近いことが勃発している。個人の腹のなかで爆発している。依存の矛先が酒でなく、ブログに向かっている。これがいいのか悪いのかは別として、酒代は浮いている。

 

そんなこんなで昨日は更新できなかった。いちにち書かないだけでちょっと鈍る。鈍るほどの腕もないのですが。そんなこんなでここで練習。練習というか助走をつけている。私はあまり頭がよくない。

 

 

別人間

 

 

あからさまなことをしてしまった。自分でショックを受けている。しかし公益性。そういうことではないだろうか。しかしあれで本当に良いのか。俺の嫌いなタイプ。

 

育児系の内容は読まれやすい。だからか。狙ってしまった。日記でもなんでもない。でもね、PVによるブログのパワーというものも考慮していきたい。

 

さいきんは音楽も聴いていない。聴いていないこともないが、ブログの巡回や読書などを平行して行っているのでちっとも頭にはいってこない。聴覚のブロックに使用しているくらい。昨日はスタイルカウンシルのカフェブリュを聴いた。ミック・タルボットのピアノが好き。

 

ピアノは打楽器。と発言する人が好き。鍵盤楽器というが、鍵盤とはつまり操作パネル、コントローラーであり、じっさいピアノは張り巡らせたピアノ線をハンマーで叩くことによって発音させる楽器なので打楽器というのは正しい。もっと正しく言うと打弦楽器か。

ピアノを鍵盤楽器、ということはギターをピック楽器、ドラムをスティック楽器、バイオリンを弓楽器と言うべきではないのか。ジャンベやコンガは手楽器か。

 

そんなこんなでスタイルカウンシルのカフェブリュを聴いた。スタイルカウンシルはご存知ロックミュージックのアニキことポール・ウェラーの楽隊である。有名なのはやはりシャウトトゥザトップであろう。朝の情報番組でオープニングナンバーとして使用されていた。小倉のでてるやつ。

 

このカフェブリュであるが非常に雑多。雑多も雑多でザジャム、つまりいままでウェラーのやってきたこととは掛け離れている。別の人間か、と思う。

 

このスタカンの活動をみると、ウェラーの熱い音楽への魂を感じる。なんだかまじめな内容になってしまった。やはり俺は音楽を聴くのが好きなのかもしれない。

 

 

すずめの涙も集まれば大海に成り得る

 

 

ここさいきん、こうやってわーっと書くほうが楽な気がしている。言いたいこととかまとまらずとも、なんだかんだでその気持ちが前面に出てくるので良い。

 

加筆加筆でやっていくと、どうやらまとまらないことが増えてきた。今書いている記事がそう。昨日まであんなにノリノリで書いていたのに、急に冷めてしまった。

 

ただの愚痴なのでまぁそんなもんかな、なんて思うのだけれど、さすがに読んでいてくれる人がいるし、頭の悪さを露呈してしまうことになるのでそれは避けたい。

 

しかし、見直しなどができる点で分けて書いたほうが良いのかな、なんて思う部分もある。だってけっこう書き直したし。そもそもの正確が最悪なので、わーっと書くとえらい悪口ばかりになってしまう。冷静な判断が大事なのでは。

 

しかしこの書きなおしにより、書きたいことが逆に増えて支離滅裂というパターンが多い。なんでそれ急にでてきた!ってヤツ。これ足したいなって気分で足すべきではないのか。わからないが。

 

スランプといえばそうなのかもしれない。逆にツイッターとかのが楽だ。あんま見ている人もいないし。みなさん「いいね」くれるが。

 

ぜんぜん話しがすすまない。なんなんだこのタイトル。まったく本文関係ないじゃん。たぶん心のなかで、加筆について、小文があつまればある程度の文字数の日記ができるってことを考えていたんだろうけど、あ、だから今ツイッターについても言及したのかもしれない。

 

 

変動的記載事項における私的発信

 

 

こうしてブログに入れる時間を作ってもなーんにも浮かんでこない。そういう時もあるんだろうが、そこで無理やりなにかを書こうとしても、あまり良い出来ではなくなってしまう。

 

久石譲は毎日、同じ時間、同じルーチン、ワークスタイルで曲をつくっていると情熱大陸かなんかで見た。それはやっぱりアイツが天才なんだからだとおもう。凡人が久石譲を模倣しても所詮ままごと。あー。やっきりしちまう。

 

みんなテレビけっこうみてんだな。R-1グランプリとかドラマとか。俺はぜんぜん見られないし、会社の人たちもテレビみてる時間なんてないから、ほんとこうやって世間から取り残されていくんだな。ブラック企業は一種の寺だよ、世俗から隔離された修行寺。

 

せっかく時間を作って日記を書こうとおもってもこうやって愚痴になってまう。もっとおもしろいこと書きたいんだ、俺は。なにかこう、もっと読んでくれる人がニヤっとするようなモノ。でもなんかうまくいかないもんだなぁ。

 

PVが気にならない、なんて言うとウソになる。もちろん気になる。けどまぁ2万近くはふつうに行くので、これはすごいことだとおもっているが。

 

運営記録を発表する人たちはそれなりに自信があるんだとおもう。3ヶ月で10万とかバケモノだしな。けど、その結果を見て「あぁおれってブログもうまく運用できないんだ」なんて思い、やめてく人がいるとおもうと相互ブクマよりもゆゆしき問題ではないか、なんておもう。

 

まじめなことを書いちまってる。けどこの日記はマジ日記なのでそれはそれでいいかな、とおもっている。だって私はまじめなのでね。そもそも。

 

卒業のテーマのブログ、あーなんだか失敗したなぁ、もっと面白く書けたはずだなぁ。もっとちがうことで攻めるべきだったかな。卒業合唱ソングまとめ!みたいな。やりゃあ多少読まれるとおもうけど、ガラじゃないな。でもPVのためにやるべきなのか。

 

いや、もっと文章の修行が必要だな。ブログをがんばるつもりはないけど、もっと愛していきたい。