そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

古いアパート

 駅に行くまでの経路に、古ぼけたアパートがある。三階建築で、鉄の階段が外についていて、二層式の洗濯機が戸外にあって、ドラマで刑事が張り込みをしていそうな、やくざが愛する女と一緒になるために、カタギになるために、自首して、刑務所に入って、出所して、それまで女は健気に待ってくれていて、「お互いに歳とっちゃったね」なんて言いながら、つつましくふたりで暮らしはじめて、あんまり贅沢はできないけど、クリスマスにはちいさいケーキをわけあってたべて、部屋はせまいけど、幸せはいっぱい詰まっていて、ある日、女が「できちゃったみたい」なんて言い出しそうな、そこからまた幸と不幸のふたつの目しかないサイコロがころがりそうな、そんな昭和の空気感がある、おんぼろのアパートである。

 なんだか馬鹿にしたような書き方をしてしまったが、俺は幼少期、こういうふうなアパートに住んでいた。通り過ぎるたびに、すっごくなつかしい感じがする。

 子どものころ、自分の家が貧乏だなんて気がつかなかった。あ、いまはちゃんとじぶんが貧乏だって気がついています。それは母が懸命に働いてくれていたからだとおもう。母は離婚したのだが養育費などをもらっていなかった。ゆえに母子援助みたいなものは受けていたとおもう。そういえばよくふたりで市役所に行って、帰りにその屋上の喫茶店で、静岡の街を見下ろしながらクリームソーダを飲んだ。なつかしい。

 こういうアパートってフォーマットが決まっているのか、どこも同じような感じで、見かけるたびに、昔の思い出が八ミリフィルムみたいな褪色した映像で、脳内のスクリーンに映写される。

 いやなこともあったけれど、こうして記憶の映画館みたいなかんじで観る思い出は、どうやら滅菌消毒されているらしく、とてもきれいなものばかりで、あぁ俺は幸せだったんだなぁ、と気がつく。

 そのアパートに息子とおなじくらいの歳の子どもがいる。先日、それを遠巻きに確認した。きっと息子と小学校の学区は一緒だろう。

 また嘲弄のニュアンスが出てきてしまうのは、大人になってからどっかで自分の家が貧乏だったことに負い目を感じているからだと思うのだが、息子がもし、この少年と友人になったさい、この子の家に遊びにいったとき、「うわー、おまえんち貧乏だなー」とか思うのだろうか。いや、きっと思わないだろう。

 俺が鈍感だっただけかもしれないけれど、ちいさいころってあんまり家が貧乏とか裕福とかかんけいなかったような気がする。俺の友人はけっこうみんなデカイ家に住んでいたけれど、うちが貧乏でもみんな仲良くしてくれたよなぁ、とかおもって、ってかそういう意識なかったよなぁ、とかおもって、貧乏でいじめられるとかドラマのなかの話しだけだよなぁ、とおもうのは俺の友人が好いヤツばっかりだったからなのか、とか思って、それもまた幸せだったとおもう。

 あまり社会的なことは言いたくないが、金がなくて子どもを育てるのは子どもがかわいそう、ってのはいまの時代そうなのかもしれないが、それだけで子どもを諦めてしまうのはもったいないよな、なんておもう。まぁみんないろんな事情があるのだろうけど。

 金とか、権力とか、名誉とか、体裁ではない、ほんとうの幸せってあるよなぁ、というのを古いアパートを見てかんがえてしまう。こうおもうことは、心のどこかで古いアパートを見下しているのだろうか? そんなことないと思う。ないと思いたい。なんというか、すくなくとも俺が、古くてせまいアパートに住んでいたころをおもいだすと、とっても幸せだった。そんな記憶があるんですよ。