そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

夫婦のもんだい

 

 サントリーという会社が「やさしい麦茶」を発明して爾来、拙宅ではこの麦茶を愛飲している。その他企業の麦茶には麦茶とくゆうの「とげとげしさ」があるのだが、やさしい麦茶にはない。やさしい。

 2リッターのペットボトルで購入している。それを調理場横のパントリーに、ってははは、おしゃれに「パントリー」なんて使ってしまった。流行の毒に犯されている。食量庫に備蓄しているのだけれど、こまったことがある。

 それは購入を夫婦別々にしてしまったとき、のことである。つまり麦茶をならべる順番についてこまっている。

 天変地異の大災害に準備して麦茶はきほん3本ほど備蓄しているのだが、使用するさいには手前から使っていく。私はきほん購入してきた麦茶を奥にストックする。そうすれば残っていた古い麦茶は手前におしだされ、ふるいものからなしくずし的に飲んでいくことができる。

 食品には制作会社や食品衛生法によって消費期限というものを帯びている。期限をすぎた食品はいかなる変容をとげるかわからないし、それをくちにいれたときどのような人体へのえいきょうがあるのか悉皆わからない、だから期限をすぎたものはくちにいれるな、という開発会社がわからの警告である。

 その警告にしたがうために手前にふるいものをもってくる。だが、先日。妻が奥の麦茶からしようしていた。つまりそれは新しい麦茶であって、ふるいものはふるいまま手前に残っているのに! である。

 どうして奥からつかうのか、と尋ねたところ「奥のほうがふるいでしょ!」とのことだった。ばかな女だ、とおもったがここに夫婦に認識のずれがあったことに気がついた。私たちはわかりあったつもりで同じ空気を吸っていたのだ。

 つまり妻は、買ってきたあたらしい麦茶を手前におき、つかうときは奥のふるい麦茶からしようする、というリズムで生きていた。私とはちがうものだったが、ぎゃくに妻は、夫である私もそのように家庭のリズムをとっている、のだと思っていたらしい。

 そうなると我が家はつねに、最新の麦茶をのんでいた、ということになる。それはそれで鮮度があってたいへんによろしいのだが、もんだいはふるい麦茶がずっと待機状態である、ということである。毒になっている。

 そんなことが発覚したのでこれはたいへんな夫婦のもんだいだぞ! どうする? とおもいなやんだ挙句、あたらしく買ってきた麦茶は奥にいれ、ふるいものを手前にもってくる、という私が運用していたルールが適用されました。こんなことを日記に記するひつようはあったのだろうか。