そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

狂った遠近法

 十一月十一日。土曜。晴れ。桃色のグラデーションが空色とまじわる朝、そしてツイッターで「ベースの日やで」とさかんに手持ちの低音弦楽器を晒しまわす朝だった。

 その午前。妻が労働により不在。三十一歳の霊長類が借金で売買契約をした陋屋で、その息子たる三歳児とともに息をしていた。吸ったり吐いたりする空気はするどく冷たかった。

 近くの公園にいった。息子は、飛行機の公園に行きたい、と申していた。飛行機の公園は遠いんだよ、と答えた。まだ「近い、遠い」がわからない。ちなみに「いつ」もわからないので不便だ。

 近くの公園で遊戯した。ダウン症? とおぼしき少年が祖母らしき人といた。息子よりも少し年齢がうえの子だった。帆船を模したすべり台で出会った。そのすべり台は昇る場所が三箇所ほどあり、息子はついにとうとう、いままでできなかったロープ式の昇降場所からなんなく昇ることができた。

 しかしそのダウン症ふうの男の子は、息子がなんなく通過する足場が格子上になって地面が透けている場所を「恐怖である」と陳情し、歩行に難儀していた。それを見ていた祖母らしき人は「小さい子でもできるのに、いくじなしね!」と言っていた。

 「小さい子でもできるのに」というのはたしかにそうなのだが、俺は胸裏で「ダウン症だから仕方ない」と思っていた。しかし、それって差別なのかな? ともおもった。それよりも純粋に「いくじなしね」というほうがダウン症の子に対する差別ではないのかな、とおもった。

 しかし、今現在。社会は個性を大事にしている。資本主義が行き詰まり、個人主義が横行している。そんな個人をたいせつにする、という点でダウン症であろうがなかろうが個人の得手不得手における不得手を「ゆっくりやればよい」と思うのは、差別ではなく純然と「個」を尊重しているだけではないのかな、という自分の葛藤があった。息子はその子に向かって透明な声で「がんばれー!」といっていた。

 遠くで父親らしき人とその嬰児があそんでいた。その嬰児がよたよたとあるき、ぽんっ、とまろんでしまった。そのとき、息子は「だいじょーぶかーい」といっていた。すきとおった空気に声は響いたが、届いたかどうかは判然としない。しかし、やさしさに泣いた。俺が。

 夕食はすべてがめんどくさくなったので幸楽園というラーメン販売所ですませた。息子は「本日は近くの公園に赴いた」という旨を妻に伝えていた。しかし、そのあと「近くとはどういった概念だ」と質問をするので、テーブルの割り箸を指し「これがちかくだ」と言い、窓からのぞく国道を走る自動車を指して「あれがとおくだ」と説明した。

 でもそうすると今日行った「近くの公園」は「遠くの公園」になってしまうなぁ、なんて思ってもうどうしようもなかった。夕刻。ひんやりとした闇のなか、まぶしいヘッドライトに照らされると暖かいような感じがした。握った掌は常温だった。