そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

酒をのんであばれた

 

ひさしぶりに。ウイスキーを購入して飲んだ。そんなに高価なものではない。IWハーパー。愛飲しているのはジャックダニエルだが、ハーパーとワイルドターキーも良く飲む。ジャックダニエルを飲むとモーターヘッドのレミー、ハーパーを飲むと次元大介、ターキーを飲むと花村薫の幻影を自身に投げてしまう。

痛飲。ひどく酩酊。世界がぐにゃぐにゃになってとても楽しい気分になった。ひどく心を憔悴させるような物事に鈍感になった。聖書によると、人間は泥から生まれた、なんて寓話があるが、そんな感じで俺は泥になった。ぐでんぐでんの、とろんとろんの、ぶわっぶわで、痛みを伴うささくれ立った現実など、いまの万夫不当の豪傑たる俺には無だ、と思った。

俺の脳細胞はほとんどアルコールによって壊滅させられている。酒を飲んで馬鹿になるのは、その須臾の間だけではない。いちど破壊された脳細胞はもう恢復しない。考える力というものがあるのなら、酒に耽溺する前にくらべれば半分にも劣るだろう。

でもではなぜ。俺は酒を飲むのか。

生きているとなんだか、生命と言うものに無味乾燥を覚える。おれ、なんで生きているんだろう? という宇宙の真理に迫ろうとする。ここで断りをいれておきたいのだが、俺はそんな精神的な癇癪などもっていない。きっと誰しもが抱く、生きる意味をなんとなく見出せずに人生の空白について沈鬱となってしまう。

酒を飲んでいると。そんな瑣末なことがどうでもよくなる。切迫する硬質な懊悩が、感覚とともにどろどろにとけてやわらかくなり、ぶつかっても、もう、ぜーんぜん痛くない。放縦不羈に振舞って、泡斎念仏に躍り狂う。一瞬の享楽。終末に待ち受ける、忽然と立ち上がる虚無。そんな繰り返しが人生ならば。

もっと情熱的に語るべき何万語のことばたちがあるはずなのに、腐った脳漿はすでに汚水だ。いたずらに過ぎ行く時間の流れに、ただただ時代の表現を選定しているだけなのかもしれない。無意味な文章がかけないのは、単語で動詞をえらんでいるから。おお、神よ。俺に冥加の至りを! と神社に賽銭。するとどうだろ。晴天から一筋の霹靂が射し、それは俺を貫いた。紫の光のなか俺はひとつの人型の影になり、中空に浮遊した。気がつけばなにも変わらない日常が目の前に立っていた。いったいどれくらいの時間がたっただろうか。いや、そんなに経っていないはずだ。そう思うのは、左腕に巻いたジーショックがそれほどすすんでいないことから察せられた。ジーショックは稲妻にも耐えうる。カシオすげー! しかし、なにかがちがう。掌をみつめると、ジリリッと迸る具現化したジグザグの発光体。そうか、俺は、いま帯電している。エレキマン。不死身のエレキマン。できるかな? とおもいスパイダーマンが蜘蛛の糸を放出すつような手つきをしてみた。放電。その雷は眼前の大廈高楼に放たれ、すべては瓦解した。崩壊するビル群。鳴り響くジェイアラート。北朝鮮のミサイルだ! と拡声器をもって非難を誘導する勇者たち。ちゃうねん、おれやねん。と思いながら、これは国際問題ですな、なんて嘯きながら次々と都心の高級車へ向けて神の怒りを放電した。なにがハイブリッドレクサスじゃ、ぼけ。なんてって、ぼぅっ。火柱があがる。大地に手をあて、その鼓動を感じるようにそっと力をこめれば、マンホールからはマグマが吹きだした。逃げ惑う民草を背に、俺は地球の磁場と電気の磁場の反駁を利用して中空に浮く。なんだかアキラの鉄雄になった気分がして、とっさにこしらえた赤い布をマントに見立てた。この世界はもう駄目ですね。そういって俺はハーパーを煽った。