そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

どうぶつえんにいった。

 過日。動物の観察がしたい、と息子がもうすのでアフリカにいこうとおもったがカネがないので断念した。代替案として上野動物園にいった。

 ちなみに息子の数少ない語彙のなかでは「上のどうぶつえん」であり、「下のどうぶつえん」も存在するらしい。きっと「横のどうぶつえん」も「ななめのどうぶつえん」あるんだね。

 檻のなかには空輸、海運によりうんぱんされてきた世界各国の珍獣が悠然とくらしていた。アフリカ産のきりんを発見したときの息子の幸甚の至りをおれは一生わすれないだろう。パンダは笹を食っていた。しかし所詮はメイドインチャイナだろ、とおもった。あとやっぱ爬虫類、両生類はだめだ、おれは。

 ホッキョクグマ。アザラシ。北極圏の動物に沈湎していた。たのしそうだった。飯を十一時前にすませたら迷い戸惑う後発組みに「今日」という一日において勝ったきがした。めしをはやく食うのは手軽に勝ち組になれる。

 さて帰ろうか、という段になってひとつの事件がおこった。おれの首筋に烈しく鋭い痛みが奔った。ひかくてき痛みにつよいこのおれが「いてぇ!」と咄嗟に叫んでしまうほどの痛みだった。

 なにがおきたのか。ぽとり、と足元にひとつの影がおちた。ミツバチだった。あろうことかこのミツバチは俺を毒殺しようとおもったらしい。刺されたポイントは水ぶくれのように膨張した。ちかくに総合案内所と救護室があったので駆け込んだ。

 せっかくのたのしい一日が一匹のミツバチにより憤怒の一日に彩られた。むかついたので家に帰宅してから壁に擬態させてある秘密のスイッチを押した。床の間の壁面がくるりと一回転し、地下へとつづく道になった。

 そこには洋の東西を問わぬ、さまざまな武具の類が整然とならんでいた。そのなかでも、俺はアメリカ軍製のメタリックな赤とゴールド色に装飾されたパワードスーツを選び、身に纏い、空を駆け、音速でハチのアジトへと向かった。

 ハチたちは今日の武勇伝をかたりあっていたのだろう。「おれはふたりやった」とか「おれはこれで百人目だぜ」というふうなことを読唇術でよみとった。やつらは祝杯をあげ、すこし酔っていたふうだった。

 そこへアイアンマンみたいなおれが推参した。やつらは呆然としていたが、一匹のハチを上段から斬り捨てると、その血煙に己を取り戻したようだった。しかし、もうそれは遅い行動だった。

 おれは一匹のハチを残して惨殺した。その一匹とは俺の毒殺をたばかったあのハチだった。なかまや家族の体液でぬらぬらと濡れた顔面は凄愴な顔つきをしていた。ハチはおびえていた。ヤツの腕の中にはヤツの息子と思わしき一匹のちいさなハチが死骸となっていた。

 同情はしなかった。俺はヤツの六本の節足を打ち抜き、生きたままの苦しみを与えた。触覚をむしり、顎をちぎり、目をつぶした。そうして中国の漢方屋までもっていき、なんかそういうハチの酢漬けみたいなのにさせた。なんだこの話。

ほうじ茶ラテとかいう秋最強のドリンク

 

 あるいは、と文頭へ唐突に接続詞をもってくると、なんだかかっこよいですよね。ってゆうか、日本皇国にうまれおちた僕た私たちはやはり四季を感じていたいナァなんて思う。

  そうしたわけで季節を感じる。秋。やはり秋というのは感傷的なきぶんに陥りやすい。思い出というのはとくににおいから喚起されることがおおく、金木犀の甘く突き抜ける香気はやはり俺の思い出を呼び起こす。とくに思い出なんてないんですが。 

 しかしこの感傷的なきぶんというヤツは非常にやっかいなもので、政府の危険物認定がそろそろおりるかもしれない、というのはもう完全に嘘ですよ。って感じでこの三段落目まで、もういっさい意味のない文章を打ってしまいましたね。でもセンチメンタリズムというのはヤバイ。

 なぜならば、このセンチなきぶんがある一定量をオーバーすると死ぬ可能性がある。だって、センチメンタルというのはやっぱ今よりも昔を思うもので、その今が昔よりも劣悪な状況のばあい、明るい未来を嘱望することが出来ずに「あきらめ」の気持ちが強くなり、車に目張りようのガムテープと七輪、練炭を勘定して高速にのって富士の樹海へびゅーんってかんじなこともあるかもしれないからだ。

 それはやばい。だれかおれの孤独を、懊悩を、未来を、あたためてくれ! っておもって購入したのが、タイトルのほうじ茶ラテというドリンクである。やっとタイトルに追いつきましたね。

 そもそもほうじ茶がうまい。この香ばしいにおいはなんなんでしょうか。お茶特有のカフェインもすくなく、夜寝る前なんかに吻合する飲み物ですよね。

 それを、そのほうじ茶をあろうことか、牝牛から絞った体液で抽出し、その香ばしい残滓をおいたままに、濃厚な口当たりを可能にしたのが、かくなるほうじ茶ラテである。人間のエゴすげぇ!

 このほうじ茶ラテなにがすごいかっていうと、まぁなんだかコールドドリンクであっても、なんだかあったかい気持ちになるのだ。これはミルクティーなどにも似た副作用が見られるが、私という人体実験をおこなった結句、薫りの部分でほうじ茶ラテのほうに軍配があがると思われる。

 秋風のセンチメンタルによって、ひとりぼっちになったさびしい心に、ほうじ茶ラテをそっと注いでみる。あぁ、むかしもよかったけど、今はほうじ茶ラテがあるじゃあないか。こんな平成の世に生まれてこられて、ほんとうによかったなぁ、なんて思う。だから秋にはほうじ茶ラテが最強なんすよ。って支離滅裂。そして。

 

寝ゲロ、笑えない

 

 昨晩。息子がめっちゃ寝ゲロした。吐瀉物の大洪水だった。原因は風邪、による通院、による帰宅の遅延、による夕飯の遷延アンド咳とからまる痰、だと思われる。ふとんのシーツをとりかえ、洗濯をおこなった。それは深更にまでおよんだ。

 寝ゲロはきけんだ。ジミヘンもボンゾもそれで死んでいる。彼らは酔っ払っていた、というものあるだろうけれど。しかし三歳児が苦しくなったとき、その危機的状況を自己解決できるとはとうていおもえない。

 彼はそのあとも眠り続けていた。また嘔吐する危険性があったためどちらかひとりは息子の監視をすることにした。そうして私と妻は交代で家のことをした。

 朝。息子にシャワーをあびさせた。いやがったがまんじゅうで釣った。昨日、職場でいただいたものだった。小川さん、ありがとう。全部だしてしまったからだろうか、朝めしをむしゃむしゃ食べていた。かきたまうどん。そのうえまんじゅうを四つも食った。

 まんじゅうは「日本三大まんじゅう」のひとつ、らしかった。はじめて「日本三大まんじゅう」という概念を知った。いったい誰が決めたのだろうか。日本三大委員会とかがあるのだろうか、とおもった。たぶん文部省管轄。

 とにかく寝ゲロは剣呑だ。きをつけたほうがよい。俺も酒を死なないていどにしなければならないな、とおもった。さすがに昨晩は飲まなかった。そういえばその朝はガラスの回収日だった。たいりょうのウイスキーの壜がつまった袋はがしゃがしゃ鳴っていた。重たかったし、これをみた近所の住人が「業者?」とかん違いするような量だな、と妻といつも笑っている。いや、笑えない。

 

俺の子にも涙

 

 土曜。ハロウィンの会合を開催しよう、という算段になっていた。近所の子どもをたちを親同伴で近隣の邸宅に召集させるものだった。しかし私は欠席した。子と細君のみで行ってもらった。なぜか。かんぜんに悪い風邪をこじらせたのである。

 いやー、死ぬかと思いましたよ。さいしょはね、風邪でもひけば行かなくていいなーっておもってたんです。あまりそういった近所づきあいが得意なほうではないので。でもね、じっさい風邪ひいてみると、ほんと命の危険を感じましたね。ほんとうに生きているってすばらしい。

 そうして土曜の昼から翌日の日曜の昼まで寝込んでいたのだけれど、いっさいの食事をしなかった。断食。喉が痛くて食事などとおらない。この喉の痛みをかんじるくらいならこのまま飢餓状態に陥ったってかまわない! と勇を鼓したのである。

 なんだか呼吸困難なかんじだった。今回の風邪は。痰がからんで空気の気道が確保できないかんじだった。みんな気をつけて。

 日曜。そうして昼すぎに起床した。息子と細君はハロウィンパーティーたのしかったそうだ。よかったね。俺は死にそうだったけどね。独りでね。ほんとうの孤独とは誰かといるときに感じるものなんだよ。

 そんな小康状態に鞭打って、かいものにでかけた。外は沛然たる雨。こんなんじゃあ自転車でかいものにはいけない、と妻が言う。だから私が自動車を運転することになったのだ。はやく自動運転が成立してほしい。

 たくさん買い物をした。ショッピングモールは蜜柑色と茄子色で彩色されていた。スパイダーマンとかいらっしゃった。とくに感想はない。いつものスーパーのほうが肉類が安い。

 息子に「好きな食べ物なぁに?」とたずねた。そしたら「みかん!」だって。かわいい。

「ほかにすきなものなぁにってきいて」と息子がいう。

「じゃあ、ほかに好きなものなぁに?」と聞く。

「うーんとねぇ… パパ!!」

 俺は思わず息子を、きつく、つよく、己の感情のままに、抱きしめた。

 

秋風とストラトキャスター

 

 うわ! タイトルの語感めっちゃよくない? ってストラトの音がわかる人でなければこの八識に愁訴する感覚はわからないかもしれないけど、ストラトの寂しげな硬質の音が、とても秋風にマッチする。ストラトもってないけど。

 自転車のペダルをこいで保育園にむかった。後席に息子三歳をのせている。これがもうほんとうに重くてしゃあない。十月二十七日。お天気は晴れ。秋冷めた天空にうっすらとうろこ雲がならんでいた。

 頃日。保育園の朝番があやな先生だ。息子はあやな先生になついているので、あっさりと別れてくれる。すこしさみしい。だってバイバイも言ってくれない。「ようた、バイバイね!」と言うと、「ばいばいじゃねーよ」と言う。あやな先生の前だといっちょまえにつよがる。いきがる。悪ぶる。かっこつける。

 そういえばさいきん息子のくちが悪い。「おはよう!」というと「おはよーじゃねぇよ」という。たまに「おれが、おれが」という一人称をつかう。うーん、無骨。ミスドに行ったらオールドファッションしか食べない無骨ぐあいだ。

 保育園をでるとき。他の保護者とかちあった。私のほうが先にペダルを漕ぎ出した。しかし数分後、その保護者が猛烈な速度でわたしを追い抜いていった。須臾の間だった。すぐに黒い点になった。一瞬で地平線の彼方へきえていった。

 相手は電動の自転車だった。エレクトしまくっていた。俺は清冽な空を仰いだ。あいかわらず巻積雲が鷹揚に浮かんでいた。

 いま時代があせっている。いや、あせらないために急いているのか。どちらにせよ、みな生き急いでいる。はやさを競っている。スピード感をたいせつにしている。そんな気がした。

 俺はといえば、つぎの直通の電車までにしばらくあるので、ゆっくりとペダルを漕いだ。それはただの理由付けなのかもしれない。ほんとうは、秋風にはらんだ冷たい粒子の、すきとおった清涼感をかんじていたかったのかもしれない。自転車にのってイヤホンをつけるのは法律で禁止されているので、頭のなかでストラトキャスターをセンターポジションに設定し、クリーントーンのAマイナーをチャランと鳴らした。

 結句がかっこよすぎるだろ。

 

ドキドキしている

 

 刃のような人生の苦しみからのがれるために、俺は酒をのんでいる。毎日微醺を帯びて眠りにつくのだけれど、昨晩はそうしなかった。

 夜。秋の冷たくて鋭い空気に鼻がいたくなった。そうして帰路についていると、どうやら身体が重い。世界機関による新兵器「グラビティ」の実験による重力場の変動か、と訝ったが、どうやらそうではなく風邪気味なのだ、ということに気がついた。

 だから酒を飲まずに滋養した。あたたかいカモミールティーをのんだ。カモミールはリラックスできる漢方らしい。寝る前に好いそうだ。しかし、俺はその立ち上る薫りがあまり好きではなかった。

 リラックスできる、と言われているものを処方する。しかしそれが科学的に人体反応を施したとしても、魂魄に宿った嗜好性に相反するものであるばあい、これはほんとうにリラックスできるのだろうか。俺はできないとおもう。

 有名な話であるが、ドクターペッパーを毎日三本も飲み続けている、かなりの長寿で有名人な老婆がいるそうだ。その老婆は幾たびにも「ドクターペッパーをひかえなさい」と医者からいわれた。しかしやめなかった。そうして医者はどんどん死んでいく。ババアは生きる。

 ドクペは身体に好くない、とされているらしいが、ストレスはもっと好くない、という事例ではないだろうか。だから健康に好い、とされているものを無理してがんばって処方するよりは、好きなものを好きなだけ摂取したほうがリラックスできると思う。リラックスは癒しだ。

 だから酒を飲もうとおもったが、やめておいた。たしかにリラックスがだいじだ。しかし俺風邪気味、という深層心理が作用し、翌日つらい場合「やっぱのまなきゃよかった」と自分を悔いることになるとおもったからだ。

 そうして本日、どうしてだろうか。身体が重い。秘密結社による破壊兵器「グラビトン」による重力子の活性化か、死ぬのか、と思ったがそうではない。昨晩、飲酒しなかったがために寝つきが悪かったのだ。

 輾転反側。やはりカモミールティーは効果がうすかった。ねむれなかった。毎日昏倒するように眠っていた。酒パワーだ。しかし酩酊して眠るのはこれじつは眠っているでのはなく、気絶している、というはなしを耳にしたことがある。

 しかし、こうして思うのが、酒を飲んでころっと寝るのが身体に悪いのか。それとも眠れぬ夜に寝返りを打ち続けるのが身体に悪いのか。という問題であって、睡眠はなによりもかけがえのない大切なものだ。ってかんじで俺はどう転んでも「酒を飲んだほうが身体に好い」という帰結をしたいみたいです。

 さいきん心臓の波動がつよい。べこんべこん鳴っている。犯罪組織による人体破滅兵器「心臓ベコンベコン」による攻撃か。

今週のお題「私の癒やし」

 

マヌーサとメダパニ、どちらの幻覚作用がつよいのか

 

 過日。客先から仕事についての連絡があった。事前に打ち合わせたものの再確認のための電子連絡であった。

 しかし、それの様子がどうもおかしい。客先の電子連絡には、打ち合わせたものとはまったくちがったないようの、客先にとって完全に都合の好いものが記述されていたのである。

 この客、じつは先日もおなじようなことがあった。「うちはAからBまでしかできませんよ」という内容で作業をすすめていたのだが、当日の客先曰く「CもDもやってくれるんですよね」という話になっていたのである。

 このお客さんおかしいんですよ。ってかこの会社、おかしいんですよ。いっつもいっつも。こういうことばっか。すげー若い人が多い会社でイケイケなかんじ。うわー、こんなんで仕事つとまるんですねー。

 と、俺はなんて不遜な思惟をしてしまったのだろう。俺はいま完全にアルコール中毒だ。俺が常住より幻覚をみていた。まどろんでいた、という可能性は否定できない。つまり、打ち合わせの時点で、俺が勘違いしていたのか。

 嗚呼きっとそうなんだ。本日ちこくしたのもそう。けっして電車が遅延したわけではない。電車はもうかんぺきな通常運行だったはずだ。ときおり車内アナウンスで「本日は、送電トラブルによる遅延が発生したしまして…」なんていうのもきっと幻聴だったのだ。

 俺は酒を飲むのをやめたほうがいいのかもしれない。しかし、そんなことは後回しだ。とにかく俺は会社に急がねばならない。そうおもっておれは、腰元に宿っている愛刀の備前国辰光の鞘をはらい、上段に構え、明鏡止水。すっ、と時間を止めてから白刃を振り下ろした。すると、眼前の大地はモーゼの海割りのごとくまっぷたつになり、会社までの一本の道となった。ははは、これでまっすぐ歩いて時間短縮だ。なんつっておれは幻覚をみているのかもしれない。