そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

死んでもいいわ

 

 帰路。夜道をあるいていると、中秋の名月なんていわれる日和だったので、あえて天球をあおがなかった

 そういった「みんながこぞってやることをしたくない」という固陋な気持ちが胎の底にあり、参っている。天稟とした境涯なのか。それともすりへった悪癖の成れの果てか。まぁどちらにせよもう治ることはないだろう。

 そういった癖をもっているため、困難なことがある。有名な作品を倦厭してしまう、ということである。アマゾンプライムビデオに「君の名は」という活動写真がちょっとした小銭で観られる、と出てくるのだが、「いやー、みないしょっ」と思っている。

 夫婦というのはそういった点で似てくる。妻にも「どう思う?」と問うたところ、「いやー、みないっしょ」といった。付き合いが長いから似たのか、それとも似ているから付き合いが続いたのか。妻の性格もなかなかにむずかしい。

 でもわかっているのは、そういった世評が高いものは確実におもしろい、ということである。我々はそれをウォーキングデッドという死体が強襲してくる洋画であらためて思い知った。だからぜったい「君の名は」はおもしろい。でも、なんだかなーと思っている。まあたぶんに観ないだろう。

 ときおり、ぜんぜん知らない映画などを観ることがある。インディーズ。しかし、そういった期待値がないため、つまらなかったらあきらめがつく。でもおもしろかったとき、このときの感動が激烈である。感動の瀑布。その飛瀑に肌を打たれるかのごとき感情の昂ぶりたるや、形容のしようがない。

 そんなときに我々は、我々だけの秘密のおもしろさ、みたいなものを共有し、夫婦の絆が玲瓏と輝きを増し、より堅牢なものになる気がしている。

 まだたった十三年。ともに煙を立てて十年ほどか。たったそれだけの時間だが、夫婦のむつまじさの秘訣として、そういったこともあるのではないかなぁ、なんて思った。まじめなことを書いてしまった。昨晩はきっと月がきれいだったんでしょうね。

 

おれの仕合せは

 

 生きているのはすばらしいなぁ。なんて思うことなく生きている。絶望。かなしー。でも、待てば甘露の日和あり、なんて言うし、きっと質朴に生きていれば「生きているのはすばらしいなぁ」なんて思うことができる夜もあるはずだ。あるはずなんだ。

 でも、だからせめて。この日記の中では仕合せでありたい。この日記のなかでは俺は億万長者。なんせマイクロソフト、アップルに並ぶ第三のソフトウェア開発会社の頭取なのである。昨年はとうとうビルゲイツの総資産を抜いた。

 そういうわけで、使い切れないほどの金があまっている。でもアフリカとかにも学校を建てたし、井戸の普請も伝授した。多額の資本をもってチャリティーコンサートも開いた。ポール・マッカートニーとも友達で友情出演してもらった。ポールけっこういいやつなんすよ。

 ここまでの会社にするには運もあった。でも眠らずに働いた。馬車馬のごときに働いた。土日祝祭日も関係なく、盆も正月もプレミアムフライデーもなかった。そんな俺に、さいきん家族がつめたい。

 もちろん家族のために働いた。家族に楽をさせてあげるために。妻には使用人を何人も付け、家のことなどなにもしなくてよい状況にした。高校生になる長女にも、なに不自由をさせていないし、一流の学校に通わせている。もちろん次女もそうだ。でも、それだけじゃ駄目だったんだ。小学生の長男は、俺のことを、知らないおじさんだと思っているらしい。

 俺が築き上げた仕合せの仙境には、俺の居場所なんてなかった。広々としたプールはしずかに風に波を立てているだけだ。

 俺が求めていた仕合せはこんなんじゃなかった。どこで歯車が狂ってしまったのだろう。どこに転機があったのだろう。思い当たる節がない。俺はおかしいのか? 狂人なのだろうか? だれも俺に生きていてほしいと思っていないんじゃないか? 会社の経営ももちろん一筋縄では行かない。これだけの規模だ。派閥ももちろん生まれている。ってか昨日スナイパーにめっちゃ狙撃されたし。

 いまからやり直せないだろうか。そんなことを妻に言った。「もう、無理よ」 長いブロンドの髪をなびかせ、俺の知らない香水のにおいを残し、妻は消えた。どこか妖艶な雰囲気を放っていた。男でも出来たんだ。

 俺は妻を尾行した。そいつだ。そいつさえ消えれば、俺の妻は、俺の仕合せは戻ってくる。そう思った。使用人に「前の車を追え」と命じた。「それは奥様から禁じられています」 この家に俺の味方はいなかった。もういい! そういい残し、俺は自前のフェラーリに乗り込んだ。

 とあるレストランについた。その軒先。妻はやはり、男と密通していた。ゆるせなかった。俺の仕合せを返せ。と思い、彼らの後を追うためレストランに入ろうとした。ドレスコードにひっかかった。なぜだ。俺は作務衣に帯刀しているが、清潔感はある。しかし草鞋がまずかったのか。車のなかにも予備の正装はない。こまった。でもこんなときにいつも助けてくれるおまじないがある。俺は唱えた。「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、きちんとした身なりの人にな~れ」 そうなった。

 レストランに入ると驚いた。そこはただのレストランではなかった。全員がグレイだった。グレイというと、宇宙人を想起するかもしれない。ちがう。テル、タクロー、ジロー、ヒサシからなる四人組ロックバンド、グレイだった。野鳥の会会長の俺は須臾の間に空間を把握した。

 総勢二百人いた。それがそれぞれにテル、タクロー、ジロー、ヒサシ。ときおりトシだった。トシを見つけるたびに赤丸をつけたくなった。わかり難いため補足すると「ウォーリーかよ!」というツッコミが欲しいです。

 こんな世界は不条理だ。俺は妻をさがした。妻とあの男を。いた。すこし小上がりになっている円上の台があり、周りにはとってもサイバーなメカが櫛比していた。青白い光が目をくらませた。様子をうかがった。どうやらその円台に乗ると、青白い光が白々とルクスを上げていき、かくなる眩耀に包まれると人は、事前に申告したグレイのメンバーになれるようだった。

 男が先に円台にのった。「しんぱいいらないよ」と言っているふうだった。クソが。と思った。男は光に消えた。光が収まり、円台の上には両手を広げ、顎を上げ、マイクスタンドの前で天空を仰ぐ男がいた。男はテルになった。

 妻がなにになるか見ものだった。そうして妻は台に乗り、光の中に融けた。そうして出てきた。妻はヒサシになった。よりによってヒサシかよ! と思った。それはヒサシが悪い、というわけでなく、妻は遺伝子的に金属アレルギーをもっていた。お前の身体じゃ金属製のタルボは弾けないんだよ! と俺は遠くでおもった。そうしてテルとヒサシはたくさんのグレイのなかに消えていった。

 俺は気がつけば、円台の列にならんでいた。四択だった。いやまぁ事実五択なんだけど。でも俺は、このグレイパーティーを破壊してやろう、という胎があった。だから、申告用紙に住所と名前、生年月日、つながりやすい連絡先、血液型、好きな女優は深田恭子と書き、なりたいメンバーの欄には「ヒムロ」と書いた。

 受付にそれを渡すと、その人はめんを食らったような顔で「まさか…!」と、声にならない声で震えていた。それでも俺は強行突破し、青白い光のなかに身体をあずけた。全身に焼けるような痛みが奔り、蛇蝎のように浮き出た血管からは血が迸った。メカがけたたましい警告音をあげていた。一定の律動で鳴っている警告音も、しだいにそのリズムを早めていった。刹那。会場は大きな光に呑まれた。

 余燼をあげたその廃墟は、いまでも「グラウンドゼログレイ」として故人を偲ぶ場所となっている。俺は、というと、こんな日記を書いているから生きているのだが、あのあと瓦礫のしたから這い蹲り、生還した。そうしてなんとか今日を生きている。俺はすべてを失った。だが、俺にはいまやるべきことが残されている。俺の仕合せは、俺のほんとうの仕合せは、ただでっかい声で歌うことだ!

 キースミー そのくちーびーるー そのーむねー 逃がさなーい

 

息子と濃厚なランデブー

 

 息子が笑うとき、眉間から鼻梁にかけて皺を刻んで笑う。それが妻に似ていて、みていると血脈の勇躍をかんじる。過日、妻が労働のために不在だったので息子とふたりきりの濃厚な休日を送った。

 人間のいちにちというのは主に「食事」と「睡眠」、あと「その他」で語られると思う。朝飯はインスタントのラーメンを誂えた。マルちゃん製麺のしょうゆ味だった。睡眠時にうしなわれた人体の塩味が補填されていくような感覚を覚えた。たまごは固めがすき。

 秋の風が身体に染み渡るような清らかさだった。陽射しにはまだすこし夏の残滓があった。ふわりと薫る金木犀とブタクサの花粉が俺の鼻腔をくすぐった。

 おもに庭で時間をすごした。軒下には腰をすえるのにちょうど好い具合のコンクリートの塊がある。息子は狂人のごとく独りで訥々とつぶやきながら遊んでいた。百円でなんでも買える道具屋で購入した車型の樹脂。ひまだったのですこしスマートフォンツイッターやらブログを見た。そうか、ふつうに生きていればアウフタクトなんて単語は知らないよな。と思った。俺はなぜか白色レグホンを思った。

 午。太陽からの波動が強くなった。息子がどうしても自転車に乗りたいと懇願した。しかし自転車は妻が乗っていってしまった。しかたなく駅まで歩いて自転車を奪還しにいった。

 駅前の駐輪場は電子マネーで精算できる。ゆえにサイフをもたなかった。しかし、どうやら勘定メカの内部の印刷紙が切れると電子マネーでの精算ができなくなるらしい。どうしてそんなことを知っているか、というと、そのときジャストで印刷紙が切れていたらしく、俺のアイフォンでは金の支払いができなかった。

 しかし天佑。ちょうど勘定メカの点検びとが推参して内部のあれこれをしてくださった。俺は本日ついてるな、と思った。

 コンビニに行って飯をかった。ついでに息子が仮面ライダー食玩を購入したい、言ったので、四百円もしたが買った。月末でアドセンスの調子がよかったから、まぁいっか、と思った。こうして息子の仮面ライダー童貞は失われた。息子はチャーハンが好き。

 午飯を食ったら、またすこしあそんだ。遊んでばかりの人。ノンタンの絵本を読んだりした。眠くなったのですこし眠った。ふたりと仮面ライダーでふとんに倒れた。気がつけば夕刻になっていた。

 すこし夕飯の支度をした。下ごしらえ。まだ息子は昏睡だった。ゆすっぶって起こした。外では近所の子どもたちの声がした。彼らとすこしあそんだ。俺はキッズにもてる。

 妻が帰宅してみんなで夕飯を食べた。ご飯にかけるクリームシチューという巷間を賑わしている品である。うまかった。そうして時間は経ち、俺は酒を飲んでピーマンの肉詰めをひたすら作成した。妻に、息子と一緒でたのしかった、と言った。

 

レジうちの中国人

 

 よくいくコンビニは中国人がレジをしている。ってか都心のコンビニって中国人しか働いていない。韓国人かもしれないけれど。あとは東南エイジア系ですか。

 勘定を済ませたあとで「レシートは?」と尋ねられる。この問いに俺はいつも「だいじょうぶです」と答えるのだが、はたしてこの「だいじょうぶ」の妙意が伝わっているかと不安になる。

 日本人の相手をおもんぱかる精神として、はっきりと「いらない」と言うのはどうも気後れしてしまう。語気が強まり、相手に精神的瑕疵をあたえてしまうのではないか、と思うからだ。古来より商都であった大阪人などは、伝統柄にきっぱりと「いらない」というが。ほんと人間としてどうかしている。

 だから、たいていのお断りの場合「だいじょうぶです」という。だが、相手は文革によって儒教の教えを失ってしまった夷狄のメイドインチャイナである。異国のコミュニケーションとしてこの文意など伝わるわけもない。ってか、いるorいらない、の問いに「だいじょうぶ」ってわけわかんねぇもんな。

 そこで俺は今後「いらないです」といおうと思った。しかし、ここでまた相手をおもんぱかる日本人の精神が発動してしまい、新たな問題が浮上した。

 それは向こう方の教育により、「日本人は相手をおもんぱかるニュアンスとして、だいじょうぶという言葉を、お断りの文句として使用する」という大和魂がすでに事前知識として普及伝播され、中国大陸に点在する「日本語会話のイーオン」にて水平展開されているかもしれない、ということである。

 かくなる事柄が周知されていてる中国人にたいして、「レシートは?」の問いに「いらないです」とお断りしてしまえば、その中国人をおもんぱかっていないように感じられてしまうし、同時に中国人から「こいつはほんとうに相手をおもんぱかることのできる日本人なのか?」という侮蔑を与えられてしまうのではないか? そんなことになったら、せっかくの俺の異国の人に対して微妙なニュアンスを持つ「だいじょうぶ」というお断りの文句を廃止した相手のことをおもんぱかる日本人の精神が裏目に出てしまう! やさしさが仇になる、といういつもの俺が損するパターンのやつだ! とおもったのである。

 しかも、相手はいつもレジをしてくれる中国人である。私が、いらないの意で「だいじょうぶです」をしようすることは承知のはずであるのに、そんななか急に明日から「いらないです」と言ったら、あの中国人はいったいどんな顔をするだろうか。きっと、コノヒト、キョウ、オコッテルアルカ? とおもうに違いない。

 そんな思いはさせられない。だから俺は明日からもレシートのお断りに「だいじょうぶです」といおうと思う。

 

「スーパー」VS「ハイパー」

 

 少年時代。かくなる問題がいつも私の懊悩であった。表題の「スーパー」と「ハイパー」はどちらがより強烈なのか? という問題である。いっぱんろんとして、これはハイパーが上位である、と思われている節がある。

 おそらくそれは機動武闘伝Gガンダムにあらわれたシャイニングガンダムゴッドガンダムによるものではないかな、と思う。シャイニングガンダムはスーパーモードという超強い体調になることがある。たいしてゴッドガンダムはハイパーモードという、これまた激烈にストロングな体調になる。

 もちろんシャイニングガンダムの上位交換がゴッドガンダムなので、その体調の変化自体も上位交換されているとみなすのが当時十数年も馬齢を重ねた統計学的な見地なのだが、でもほんとうにスーパーよりもその具合が熾烈なのか? という疑問が付きまとっていた。

 ちなみにウルトラという選択肢もあった。超ウルトラとかつかうじゃん。でもこのウルトラに内在するちょっとした田臭が滑稽だったので、仲間内でユーモアを交えるときにしか使用しなかった。たぶんウルトラマンのせい。ウルトラマンとか子どもっぽいじゃないっすか? やはり本気のときにはスーパー、もしくはハイパーの二択である。もうちょっとすると「アルティメット」というめちゃくちゃかっこい形容詞に出会うのだが。

 スーパーとハイパーの問題をGガンだけで判断するのは早計では? そう思い辞書を引いた。するとスーパーもハイパーもじっさい意味は「超越」であって、おんなじじゃん、となった。おれはいまままでなんて無礼をスーパーにしていたんだ。と悔悟の念をいだいた。かってに巷間にのぼった愚説によって、ハイパーのほうがすげぇ! と思い込み、自作のファンタジーにもスーパーよりもハイパーを上位交換として使用していた。俺はいまここでその謝罪の意を表したい。

 スーパーさん。おれはいままでハイパーのほうが強いと思っていました。でもほんとうはおんなじくらいの度合いだったんですね。かんちがいしていました。だから超絶ごめんなさい。ハイパー謝ります。

 

闇の夜露に消える魔球

 

 タイトルに意味はないです。語呂が好いな! と思っただけです。さいきんは、忘れらんねぇよというバンドを聴きました。とてもカッコよかったです。それはまた別に日記に書こうと思います。というかそういうメモです。

 昨日。ずっと息子を抱っこしてました。テーマパークに遊びに行ったのです。しかし。どうして息子はこんなに可愛いのでしょうか。抱っこしていると、息子は自分でバランスをとってくれるので、私の眼前に息子の顔面があります。私はチューばかりしてしまいます。ほっぺとか、耳とか食べます。食べたくなります。愛おしいのです。

 そんなメモです。あとSIONの新しいアルバムも聴きました。相変わらずシオンの皺嗄れた声はノイズのようです。あとナッシングスも聴いています。ファーストはエルレを意識してませんか? と思いました。日本のロックバンドばかりですか、イースタンの「ソンゲントジユウ」もグッときました。精神をかき乱されました。ヨノナカバカナノヨを読みたくなりました。あとフラカンの「ハイエース」というPVを見て、こんな生活送ってみたかったなぁ、と思いました。映像にブラフマンとかも出てました。イギリスのバンドはベイビーシャンブルズサードばかり聴いています。ピートがファーマーズドーターのような曲を歌うなんて、今でも聴くたびに夢かと思います。

 義務感を持ってブログを書く。というのは、なんだかとっても珍妙ですね。でもそういった「なんか書いておこ」とおもう気持ちがあったので記載しました。今週もまた始まりましたね。って俺は誰にいっているんでしょうか。今朝方。まだ誰の呼吸も混じっていない静謐な透明な空気。そんな新鮮に、金木犀のあまいにおいが幽かにしました。ふと、金木犀っていっつもにおいばかりで、存在をみたことがないな、と思いました。でも姿をみたところで、俺の金木犀のイメージはその様相よりも、においに喚起されるのだろうなぁと思いました。