そしてブルーズへの回帰

「まだロックが好き」のつづき

拳法の使い手

 

じつは私はすごい拳法の使い手で、めちゃくちゃ強いんです。

すごい拳法とな、どうしてに漠然と明言を忌避するのかってな、これじつは深淵なる理由というものがあって、一子相伝の私の流派は狭義であるので、その名を言っちゃうと身バレしやすい。

なぜにどうして身バレするとまずいかってのは、じつはこの拳法、かの徳川江戸幕府より暗躍してきた闇の拳法、まぁすなわち殺しの技術であるからして、いままで歴史のあらゆるターニングポイントで活躍してきた我らの流儀が、おいそれと平成の世に流通すると、あらゆる日本のパワーバランス、ひいては世界の均衡にも関わる自体なのであって、国から個人的に規制すら掛けられている水準の暮らしをしているのですからして、これがバレたら私は日本ではないどこか、列強国でないどこか、むしろ国境の無い世界の果てに亡命しなければならず、困るのです。

んじゃなぜ、こんなインターネットの片隅にちょっと記載してみようかな、なんて思ったのはじつはその統制された国家からの呪縛が解禁されたからなんですが、じゃあなんでそれが解禁されたかってーと、ふふふ、ここだけの秘密でおねげぇしやすよ、てんでいっちゃいやすけどね、じつはこの拳法の力が世に出回ることと相成りやしたんですよ、スマホのアプリで。今風ですよね。

 

第28回 短編小説の集い「桜の季節」

 


novelcluster.hatenablog.jp

 

「桜のゆくえ」

 

腐敗する前に、というのが要点である。

まだらに褐色づきはじめた白桃色の花弁が濃縮されている。ミルクをこぼしたかのように側溝に沿って蓄積されている。白い流麗な曲線が邸内の玄関口へとつづくスロープにゆっくりと描き出された。

 

春は、やっかいだ。と小間使いは独白する。塩ビのホースを庭園から力まかせに引き伸ばしている。こぼれたミルクにホースの放出口を向け、また庭園へと舞い戻る。芝生がしめり光っている。蛇口をゆっくりと反時計りにひねる。もういちど玄関へ行き出水量を確認する。もうすこし強めに。そう思い再度庭園に走る。ぬれた芝生は青臭いにおいを放っている。そして蛇口をまた15度ほど開く。ただよう陽射しは優しかったが、たまに吹く風はすこし肌に刺さった。

 

シダ箒とちりとりでは、へばりつくばかりで解決しない。それはこの広い敷地の邸宅に来たときに教えてもらった。

「水で流すの。」

鼻筋のとおった端整な顔立ちの、背の高い女給仕からの指南だった。やさしく、でもどこか冷たい雰囲気の女給仕だった。彼女の給仕服はいつもバニラのような甘いにおいがしていた。

 

2年前からである。桜の花びらの処理は小間使いがしている。山間にあるこの御邸内にはもちろん桜の木があるが、なにより凶悪な春風にあおられ、ここにやってくる花弁がほとんどである。小間使いはホースの放出口をつまみ、圧縮した水圧でたんたんと地に落ちた花弁を流していく。いずれ散っていくのに水がもったいないな、と小間使いは思った。ホースをつかんだ掌が、土や枯芝生で汚れるのが気になった。

 

黄昏。西日差す赤橙色の書斎に小間使いは赴いた。だれぞかれは、と思う以前にそこに在るのはこの邸宅の持ち主であり、小間使いの主人である。丹念にニス塗りされたマホガニーの書斎机の前で、黒い革張りのソファに腰掛けている。アークロイヤルが煙になっていく。その粒子は西日を可視化させている。主人が居なおすと、鈍く光る革張りがぐっと鳴く。

「仕事はおわったか。」

「まだ桜は咲き続いて、吹き込んできます。終わりなんてありません。」

「桜の季節もじきに去る。汚い花弁が家の中に入るのはいやなんだ。」

小間使いは俯いたままであった。なにも考えていなかった。厳密に言えばこの瞬間を染めあげる橙について考えていた。オレンジ。果実にもオレンジというものがあるが、この橙が先にあったのか。それともオレンジという果実の色からこの橙はオレンジと名称されたのか。そんなことを考えていた。

「今夜わたしの部屋に来い。」

そう言って主人は琥珀色の蒸留酒をひとくち舐めた。

 「わかりました。それでは仕事に戻ります。」

小間使いは一礼して書斎のドアノブをひねった。しばらく歩いたあと胸の袂で空気を漏らした。やっかいだ。この夕日に焼かれて心が灰色になった気がした。

 

それは女給仕の役割であった。女給仕のやっていた仕事が小間使いに引き継がれていった。

 

女給仕は2年前にここを出て行った。その日は青黒い曇天から、ほそく、つめたい、線の長い雨が降っていた。小間使いは邸内の2階からそれを眺めていた。裏門に駐車している黒いミニバンに向かう透明なビニール傘の向こう側に彼女がいた。給仕服以外の格好をしているのを始めて見た。真っ白なブラウスと紺色のフレアスカートであった。声を掛けようか。そう迷って突き出し窓を上げた。雨天の湿気と雨音、それと同時に清潔な石けんのにおいが発った気がして、声が出なかった。

 

どうして女給仕はなにも言わずに出て行ってしまったのか。小間使いは芋の皮を剥きながら思案していた。ステンレスのシンクにはがれた芋の皮が落ちていく。白濁色が混ざっていた。

女給仕の表情は見えなかった。振り返らなかった。スライドドアの内側にすべりこんだ横顔は雨粒に紛れて滲んで見えなかった。顔が見えた気がした、と思い始めたころ「これは記憶の改変だな」と小間使いは自分の身勝手を呪った。それが悲しくて小間使いは考えるのを辞めた。

 

初めて訪れた主人の部屋は照明が落とされていた。廊下から伸びた光が先に入り込む。主人の飽食しきった怠惰な身体にぶつかった。「はいりなさい。」とだけ放ち、主人は背を向け部屋の暗闇になじんでいった。アークロイヤルのバニラの香りが風になびくカーテンのように踊っている。

 

暗闇の奥まで入っていく。小間使いは自分の眼球が角膜を広げていくのがわかった。見え始めるこの部屋の緊迫に厭悪した。気色の悪いベッドが鎮座している。大きなガラス窓からは夜の静寂が溢れている。

「すわって待っていなさい。」

と主人が放つと、彼は別室に向かった。呼気にアルコールが含まれていた。主人は行きしなにグラスの中身を煽った。

小間使いはベッドの縁に腰掛けた。鼓動が大きく鳴っていたがしだいに暗闇に順応した。するとガラス窓の向こう側がやたら眩しくみえはじめた。衣擦れさえも耳障りな静寂が、うるさかった。

主人が消えた暗闇から音楽が流れた。チャーリー・パーカーだ。なめらかなアルトサックスのフレーズが鳥のように飛び交っている。同時に水の細い線がはねる音も聞こえた。

小間使いの感覚は鋭くなっていった。いまならバードのようなサックスも吹けるんじゃないか。とさえ思った。部屋を見渡すと主人がどんな人間であるのか、わかる気がした。目に付いたのはシェルフの上に沈黙している太刀と脇差であった。

 

おもむろに手にとってみる。太刀には黒い重圧があった。鍔を鞘から少し離す。刀身に小間使いの眼光が反射した。血と脂の匂いがした。あまりに重厚な空気に圧倒され、小間使いはその狂気をもとに戻した。

脇差を手に取る。太刀よりも手になじんだ。鞘を一直線に払う。刃には青白い夜が写っていた。脇差の柄と小間使いの掌は混じった。

 

その銀色は主人の下腹部に溶けた。するりと溶けていった。人間の肋骨は二十四本ある。その合間をまっすぐに通った。小間使いはシャワールームの中で赤い湯気が立ち上る感覚を覚えていた。主人の脇腹から滔々と流れ落ちる血がシャワーから排出される熱い湯と交じり合っていた。生臭い鉄のにおいがした。

 

真っ白だった。小間使いの心は純白であった。脇差と一体になった掌を正眼に構え、主人に向けただけであった。小間使いはゆっくりと主人に近づいた。切っ先が触れた瞬間、一筋の血流が濡れた肌の水分に希釈され、よろめきながら主人の両脚を這い、ユニットバスの合成樹脂に着地した。それから先は排水溝に吸い込まれていった。小間使いはホースで流すあの桜の花びらを思い出していた。掌に付着する血よりも人体の脂分に嫌悪した。

 

シャワールームで尻餅をついたままの主人はもう動かなかった。床に流れた血はすべて洗い流した。小間使いは濡れてしまった衣類を交換したいと思い、すべてをそのままにして自分の部屋に戻った。もったいないのでシャワーの水だけは止めた。チャーリー・パーカーは奔放なサックスを吹き続けていた。

 

部屋にもどり着替えをした。白いシャツと濃い色のデニムのジーパン。長いことこの格好を続けている。女給仕たちと違い小間使いには給仕服があてられなかった。すこし形のちがう自前の制服を着まわしていた。今日はよりによって一番着古した組み合わせだった。シャツはもうくたくたにしわがれている。ところどころ生地が薄くなっている。だけどそれを着てベッドに入り、少し眠った。

 

明朝。小間使いは正面玄関のスロープを下り邸宅を出た。よく晴れた風のつよい、桜の舞い散る春の日だった。

 

あとがき

桜の季節、といわれるとフジファブリックが出てくる。そんなテーマで短編小説を募集していると小耳にはさみ、ちょっとやってみた。

恥辱的であるが、やりたいことをやるべきだ、と思ったので挑戦した。また下手でもいいじゃん!チャレンジチャレンジ!みたいに言ってくれていたのでチャレンジチャレンジ!って感じです。

本ブログでやらないところが姑息であり卑下な心もちだが、そっちだと興味のない人に申し訳ないし、ってか恥ずいじゃん。小説って始めて書きました。むずかしい!

 

合法薬物チョコクロ

 

食った。食らってしまった。チョコクロを。もちろんサンマルクカフェが提供する人気商品のあのチョコクロ。べつにいーじゃん。なんて思うかい?ははは。だめよ。だってあなたの腹部をご覧なりなさい。ほぅら。たぷんたぷん。

 

しかもだ、午後九時半。夜は糖と脂肪を避けるべきだ、と、あれだけ世間様が鞭撻してくださっているにもかかわらず、私は食った。なぜか。それは無神経なあの東京タワーが見せる下品なピンクや白色やたまに青、の、あの配色に苛立ったからである。こちとら疲れとんじゃ。ぼけなす。デリカシーに欠けている。

 

東京タワーはだまって白熱灯に照らされていてくれ。オレンジに反射していてくれ。それがせめてもの救いなのだから。

 

生きてりゃ死にてぇときもある

 


私はファッション鬱なのでたまに死にたくなる。ファッションで言っている通称かまってちゃんなので、心のほんとうの部分では思っていない。たぶん。だから無視してくれて構わない。ただ私も心のないサイボーグではないので落ち込むこともある。

 

きっかけはなんにしろ、自己嫌悪といいますか、そんな自分が嫌いになったりするタイミングって「みんな」あると思うんですね。

 

こういう時って「みんな」そういう時があるから大丈夫だ。なんて思えないんですよね。利己的な思考になっているので、まず「全」なんて見えない。思考と書きましたが、精神と書いたほうが適切ですかね。

 

だから私はタイトルの「生きてりゃ死にてぇときもある」ってこれを生活のバイオリズムとして捉えることにしました。私の中では、かなりポジティブな発想なのですけど、もしかしたら「死にてぇ」という言葉がマイナスイメージに捉えられてしまうかもしれません。

 

今日はけっこう落ち込んだ。自らの思慮浅いところが起因だけど。まぁだけど相手も悪いよ。仕掛けにはめようとするなよ。人を陥れようとするなよ。騙し討ちするなよ。

 

と、マイナスをある程度怒りのパワーに変換できれば楽なんだけれども、なかなかそうもいかないのですね。あー、つらい。

 

でも大丈夫。いや、大丈夫なんて思えない。あーなんて俺は愚かしい人間で怠惰で駄目駄目でへなちょこで馬鹿で阿呆でみっともなくて、ってこれすらも思わない虚無。やばい。なにも考えられない。

 

でもこれは所詮バイオリズム。今日寝て、明日になれば精神状態はある程度、若干、すずめの涙ほど、だけど回復しているハズ。そんなもんだと思う。今日が原因で難関が待ち受けてるかもしれないけど、こころがいまいちばんつらい。

 

そのうち治るさ。だって生きてりゃ死にてぇときもあるんだもの。

 

 

ぽんこつ太郎

 

 

土曜や日曜のことを記載しようかな、と思い立ってはみたが、どうも筆(まぁキーボードだが)が進まない。なぜだろうか、と思案してみると、まったくもってなにもない土日であったことから、このような惰性的な日記になってしまっているのだろう。と、そう思っている。

 

なにもなかった。とはこれもまた珍妙なる言い分であるなぁ。まるで、飲み会の最中「ちょっと抜け出さない?」なんつって新宿の夜に消えた男女。後日「あのあとどうしたの?」と問うてみると、「いや、なにもなかったよ」って感じで、なにもないわけないのである。

 

なにもなかった。いや、朝の目覚めがよかったとか、調理したメシがうまかったとか、購買に出かけたとか、血のつながりのある子どもと一緒に公園に遊びにいったとか、もろもろあるはず。生命を謳歌していれば一日のうちに、なにもなかった、なんてことはないのである。

 

実際、上記のような事柄が私の人生の一部として大脳皮質に格納されている。とても楽しかった土曜日曜である。だがしかし、これまたブログに書くことなのか、と問われれば、もうぜんぜん書くようなこっちゃないし、だからと言ってブログなんだからそういった日常がにおうような記事も書きたいな、なんて思うわけであって葛藤というものなのである。

 

なにもなかった。そう言い切ってしまうのはブログ、日記に書くことを前提とした発言であり、もはや私も立派にブロガーぶっちゃっている、ってことなのかしら。いやだなぁ。

 

 

おれがおれが

 

このまま眠らずにいようか、なんて思うこともある。妻が就寝、私は自由。いまはひとりでワイルドターキーなるバーボン酒、洋蒸留酒をたしなみ文章を打っている。ストレートでちまちま飲んでいる。XTCを聴いている。アップルビーナスだ。

 

夜に強い。ナイトストロング。だいぶ酩酊してますか。てな感じですね。ほほ。

夜はいつまでも起きていられる。えんえん起きていられる。これは比較的むかしからそうだった。自分の時間が好きなんだと思う。でも、じゃあ、なぜ夜?朝はやく起きればいいじゃんなんて思う。

 

でも夜って無限。おれは思う。夜は無限なんだ。朝はいずれきてしまうけど。夜は無限に広がっている。晴天の青も好きだけれど、真っ青な空の虚構感。まやかし感。これわかる人いないかしら。しょせん光の屈折というか。幻像を見せられている。太陽という神に。

 

でも夜空は宇宙。「そら」なんていう地球規模のことばでは片付けられない圧倒的真実の無限がこの先にある。と信じられる。そんな感覚。いずれ同じことをメイン日記で言うかも。なんかかっこいいじゃん。こんな台詞。

 

おれは、かっこつけしい、なのかもしれん。そうやって自分をよくみせようと必死だ。それこそがかっこ悪い。わかっている。こうやって日記にかいている。なさけねぇ。そんな弱い部分も好きになってほしいと思っているのか。打算的。クソだなってところで、いやなきもちになってきたのでやめます。もっと明るい光をおくれ。

 

あ、またやきゅうやってる…

 

 

スポーツ観戦が趣味なひとがうらやましい。人生たのしそう。オリンピックだとかワールドカップだとか見られる人って時代をたのしんでいる感がはんぱない。おれはぜんぜんそういうの興味がない。ちょっとこまっている。

 

おっさんはもれなくスポーツが好き。なんでかわからんが。口をひらけばだいたいスポーツの話し。スポーツの話しってしやすいんだろうな。政治とか宗教とか思想がからんでくることはあまり他人と話さないほうがいいし、かなしい事件とかはやっぱかなしくなってしまうし、盛り上がらない。世の中みんな楽観的なつきあいをしたい。

 

で、おれはそういうスポーツの話についていけない。あはは、そうなんですかーと返す。会話がおわる。てかすでにおれがスポーツを見ないことを知っているおっさんたちは、そういう話しをふってこないので会話の手持ち無沙汰感がすごい。だからおれは困っている。

 

じゃあスポーツみればいいじゃんってなるけど、興味ないものを2時間もみれますか。映画一本みれますよ。映画を見る時間だってないですよ。しかも、いまさら野球なんて見始めたら、あ、コイツ、話し合わせにきたな、って思われちゃうじゃん。媚びてるみたいじゃん。ってなるから余計見られない。

 

なんでおれがこんなにスポーツに興味がないか、というとたぶんスポーツをやってこなかったからじゃないかな。というのも父親がいなかったからキャッチボールなんてしたことなかったし、まず野球観戦なんてしなかったし、サッカーボールだって家に無かった。たぶんこれが原因では、と思っている。

 

こういう一般的な家庭が体験することを体験せずに生きてきた。そんな気がする。ずいぶんな自分かわいそうアピールになってしまうが、じっさいいまこの三十路のおっさん的立場から、あのときの望月少年の境遇をみると胸がくるしい。せつない。

 

いつも国際的なスポーツが開催されるとそんな思いがわきあがってくる。なんかもっと他の人生があったろうな、と考えてしまう。

だから、世界中の人間がスポーツをみて幸せになる、なんてことはない。すくなくともおれは悲しくなる。東京オリンピックとかどうでもいい。むしろ辞めて欲しいくらいだ。

 

スポーツなんてばかが見るものだ。表層的でたんじゅんな感性だ。スポーツやってるヤツも、それ見てはしゃいでるヤツも全員不幸になれ。ってなる。思う。

 

と、書いたが、いちおうブログの形式で書いているので謝っておく。すみません。おれの心が腐っているんです。